拝啓 山本太郎様2011/06/01 16:12

まずは、一面識もない私が、このような形でメッセージを発信する無礼をお許しください。

さて、3.11以降の山本太郎さんの活躍ぶり、文科省抗議行動の直前まで知らずに失礼しました。特に「子供に年20ミリシーベルト」に対する太郎さんの明確な意思表示は、福島のママさんたちの大きな力になりました。また、文科省が「校内で年間1ミリシーベルトを目指す」と態度を変えた背景には、太郎さんの力が少なからずあったと思います。
ただその後、「ドラマを降板させられた」「事務所を辞めた」など、ちょっと悲しいニュースが入ってきました。「俳優引退」なんていう記事も出ましたが、デマですよね?

シスカンパニーのホームページを見ると、事務所は太郎さんの活動に一定の理解を示していたようなので、残念でなりません。私たちが知り得ない様々な事情があっての判断なのでしょう。

一ファンとして、太郎さんの映画・テレビ・舞台などでの活躍に、大いに期待しています。これからは、俳優業と社会的な活動の両立を目指してください。ウォーレン・ベイティにしてもマドンナにしても、みずからの政治的な立場を明確にしながら頑張っています。亡くなったポール・ニューマンもそうでした。

一方、福島第1原発の問題は、どんなに頑張っても数十年、いや何百年も、私たち日本人が背負っていかなくてはならない問題です。政府と東電のロードマップ通り行ったとしても、放射性物質の放出は、年内には止まりません。また、避難した人たちの生活をどうするのか… 汚染地域の除染はできるのか… 問題は山積みです。

脱原発運動、反原発運動にも、未来に向けた長い道程があります。仮に運動が実を結んで、日本中にあるすべての原子炉を早い時期に止めることができたとしても、廃炉にするためには、多くの技術的課題があります。また、すでに山のように存在する放射性廃棄物をどうするのかも考えなくてはなりません。最終処理場の問題などです。

今、太郎さんにお願いしたいのは、あまり思い詰めないで欲しいということです。
仕事は仕事、社会的な活動は社会的な活動。もし、デモの日にテレビの仕事が入ってきたら、仕事優先。映画や舞台をやっている時には、原発のことを考える余裕が無くなるかも知れません。でも、それはそれでイイじゃないですか。
残念ながら、ここまで原発を許してしまった結果、退却のためには少々時間が要ります。ある意味で、気長に構える必要があります。

もう一つ言えるのは、もし、今回の件をきっかけに、太郎さんが、芸能界や映画界・演劇界と距離を置くようになってしまったら、俳優や芸能人で自分の意見をはっきりと言う人が、ますます減ってしまうでしょう。太郎さんの頑張りは、日本の芸能界を変える力にもなろうとしています。

まずは、6月17日初日の『太平洋序曲』ですね。舞台に全力投球!そして、福島の子供たちとママさんたちへの応援をよろしく!

「一俳優の終わりの始まり」なんて悲愴的な発言は、太郎さんらしくありません(笑)。「終わりの始まり」は日本の原発の話です。「山本太郎という俳優の本当の始まり」が今なのでしょう。

「干される、干されない」も、あまり悲観的に考える必要はないでしょう。もはや、原発推進を声高に叫ぶ勢力は追い込まれています。放送局も広告代理店も、変わっていくでしょう。いや、変えていかなければいけないのです。

俳優・山本太郎のこれからの歩みに大きな期待を寄せます。研ぎ澄まされた真剣な表情と、面倒なものすべてを吹き飛ばす底抜けの笑顔。それが太郎さんの真骨頂だと思っています。ぜひ頑張ってください。

私設原子力情報室

「国破れて山河あり」すら…2011/06/01 18:59

「國破山河在(国破れて山河あり)」という、杜甫の有名な漢詩があります。その意は、「国家は戦に敗れてしまったが、山や河の姿は変わらない」と。杜甫は世の中の崩壊を嘆き哀れみながら、一方で、変わらない大自然の雄大な姿に安らぎを求めたのでしょう。

今から千三百年前に生きた杜甫には、山河すらその営みを維持できなくなる「大崩壊」が、同じ東アジアで起きようとは、想像もつかなかったでしょう。言うまでもなく、福島第1原発の事故のことです。

福島の山林が大きな危機を迎えています。「原発周辺、林業危機」(毎日新聞)。
「除染すれば、避難地域も住めるようになる」と吹いて回る楽観的な学者がいますが、彼らの想像力の中に、「森」や「山林」はないのでしょうか。除染も土壌改良も、ほぼ不可能です。毎日新聞の記事には、土砂崩れの問題や、林業の衰退への危惧が書かれていますが、それだけではありません。森はたくさんの雨水を蓄え、その水はやがて豊かな栄養分を含んで、河へ、そして海へと流れ込みます。森は河と海の命の源なのです。
上流に豊かな森のある河が流れ込む海は、例外なく魚たちの天国。人間にとっては、かけがえのない好漁場です。
荒れ果てた森から流れ出る水は、どんな水でしょうか。栄養分が乏しいだけではありません。様々な核分裂生成物(放射性物質)を含む死の水なのです。

河を見てみましょう。「アユ漁延期を検討 放射性物質、基準値超す」(毎日新聞)。多くの科学者が、淡水魚は海の魚より放射性物質を蓄積しやすいと指摘しています。それは、大地に降り注いだ放射性物質の大半が、やがて河に流れ込むから。さらに、河や湖では、海ほどの「拡散」が期待できないのが大きな理由です。息を殺してアユやヤマメと対決する釣り師たちの夢。それは、人が山河と対話する瞬間でもあります。夢も時も、いとも簡単に打ち壊されました。
そしてこの汚染は、小さな川魚から大きな川魚へ、あるいは、水鳥たちへと広がっていきます。河や湖の周りの生態系を守ることは至難の業。そして程なく、私たち人間の内部被ばくへとつながっていきます。

「国破れて山河あり」。人間の営みが、どんなに不幸な事態を招いても、山河は静かに見守っていてくれるはずでした。しかし原子力事故は、それすら許さない過酷なもの。豊かな山河すら失われてしまうのです。






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