続・急性白血病で福島第1原発作業員が死亡 ― 2011/09/07 16:34
福島第1での作業員の急性白血病に関して、日弁連が声明を出しました。
「急性白血病は遺伝などを原因とする例も見られるが、放射線被ばくや一部の化学物質への曝露等に起因する例が多く、その原因の特定は疾患の種類や遺伝性などの他の原因の有無なども含め慎重に検討する必要がある」(日弁連声明より)
どうにも不可解な事件(と敢えて言いたい)です。東電は、何の裏付けも取らずに冷徹に「無関係」とだけ言い張る。厚労省は沈黙。なぜかマスメディアも多くを語らず。
いったい、どうなっているのでしょうか?
日弁連は、亡くなった男性の職歴、生活歴、それから予想される被ばく線量を徹底的に調査し、その検討結果を公開することを求めています。
もう一つ行うべきなのは、遺族の承諾を得た上での、遺骨の分析です。火葬の温度は800℃程度らしいので、直接の原因となったのがストロンチウム90(沸点=1382℃)による被ばくならば検出される可能性が高いからです。
「急性白血病は遺伝などを原因とする例も見られるが、放射線被ばくや一部の化学物質への曝露等に起因する例が多く、その原因の特定は疾患の種類や遺伝性などの他の原因の有無なども含め慎重に検討する必要がある」(日弁連声明より)
どうにも不可解な事件(と敢えて言いたい)です。東電は、何の裏付けも取らずに冷徹に「無関係」とだけ言い張る。厚労省は沈黙。なぜかマスメディアも多くを語らず。
いったい、どうなっているのでしょうか?
日弁連は、亡くなった男性の職歴、生活歴、それから予想される被ばく線量を徹底的に調査し、その検討結果を公開することを求めています。
もう一つ行うべきなのは、遺族の承諾を得た上での、遺骨の分析です。火葬の温度は800℃程度らしいので、直接の原因となったのがストロンチウム90(沸点=1382℃)による被ばくならば検出される可能性が高いからです。
この事件が闇に葬られることを絶対に許してはなりません。もし、徹底して調査した結果が、本当に「原発と無関係」ならば、それはそれで受け入れましょう。しかし、結局、何も調べていない東電の発表を鵜呑みにするわけには行かないのです。
再処理施設って何? ― 2011/09/07 22:07
使用済み核燃料の再処理施設を巡る興味深い報道があったので、取り上げておきます。
「福島の核燃料、仏が引き取り打診」 菅前首相に聞く
フランスのフィヨン首相から菅前首相に、「福島第1にある使用済み燃料(プールで保管中の3108体)を引き取ってもよい」という打診があったというのです。大胆なトップセールスが行われたのは5月。フランス・ドービルで開催されたサミットでのことでした。
この話、直接的には、福島第1の収束に関わると見えますが、実は日本政府に対して原子力政策の根幹に関わる問題を突きつけ、私たちには「原子力」に立ち向かう基本姿勢を問いただしています。
本ブログで既報通り、福島第1だけでなく、日本の原発は、どこも使用済み核燃料で満杯です。フランス、イギリスでの再処理は契約が切れ、国内での再処理も目途が立っていません。【使用済み核燃料はどこへ?】
そこへ原発大国フランスから強烈な売り込み。欲しいのは使用済み核燃料に含まれるプルトニウムと、原子力技術の世界へのアピールでしょう。一方、日本の経産省内では、核燃料サイクル計画が根底から崩れるとして、反対論が強いそうです(プルトニウムがなければ核燃料サイクルは想定すらできません)。まずは、この期に及んで、核燃料サイクルなんていう馬鹿げたプランに固執し続けている経産省に呆れます。ただ、この一件、正しく理解するためには、少し勉強が必要です。反対派の一部には、「原発のゴミ=使用済み核燃料をフランスが受け入れてくれるって言ってるんだから、あげちゃえばいいじゃん」という意見もありそうですが、事はそう簡単ではありません。
「再処理」なんて言われると、何となく聞こえがよいですが、その実態は「プルトニウム抽出工場」です。
世界初の再処理施設が稼働したのは1944年。アメリカのハンフォード核施設でした。人類が核の恐怖と同居を始めたその時代、すでに再処理施設は登場していたのです。
目的は長崎に投下する原爆の製造。広島原爆の核分裂物質がウラン235で、長崎原爆がプルトニウム239だったことは多くの方がご存じの通りです。
で、何からプルトニウムを抽出するのか… それが今で言う使用済み核燃料です。1944年当時、発電用原子炉はありませんから、使われたのは、とにかくプルトニウムを作るための原子炉=プルトニウム生産炉でした。とは言え、基本原理は今の発電用原子炉となんら変わりません。原料は、ウラン238が主体で数%のウラン235を含む低濃縮ウラン。中性子をぶつけ、ウラン235の連鎖的核分裂反応を起こします。その時に、余った中性子がウラン238に吸収され、プルトニウム239になるのです。ただ、それだけでは原爆に使える純度の高いプルトニウム239を得ることはできません。
そこで、「低濃縮のプルトニウム(=使用済み核燃料)」を再処理施設に持ち込み、プルトニウムだけを抽出したのです。再処理工場は核兵器と切っても切れない関係、いや、核兵器のための技術なのです。
さて、話を先に進めましょう。再処理工場では、どうやってプルトニウムを抽出するのでしょうか…
使用済み核燃料には、燃え残りのウラン235、ウラン238、核分裂生成物(セシウム137やストロンチウム90など)、プルトニウム以外の超ウラン元素(アメリシウムやキュリウム)、そして、プルトニウム(大半がプルトニウム239)が含まれています。
これを濃硝酸に溶かすなどして、プルトニウムとウランを取り出すのです。残りはガラスで固めてガラス固化体というものにします(崩壊を続ける核分裂生成物や超ウラン元素を濃縮したようなものですから、強烈な放射線を発し、とても人間が近づける代物ではありません)。
しかし、使用済み核燃料は、すべてプルトニウムとウランとガラス固化体に分けられるのではありません。どうしても、かなりの量の高レベル放射性廃液が出てしまうのです。これが、「再処理工場は原発1基分の一万倍の放射性物質を出す」といわれる所以です。フランスのラ・アーグ再処理施設でもイギリスのセラフィールド再処理施設でも、この高レベル放射性廃液を海に流しています。当然、六ヶ所村でも、そういう計画になっています。
では、私たちの立場は…
使用済み核燃料をフランスに持って行ってもらうのは一つの選択肢ですが、それは間違いなく大西洋の海洋汚染を進めます。
一方、日本で再処理?意味がありません。プルトニウム抽出は、核兵器を作るか、危険性ばかりで実現の可能性すらない高速増殖炉への悪夢を増大させるだけです(ちなみに、現在、外国の使用済み核燃料まで含めて再処理を行っている国はフランスとイギリスしかありません。イギリスでは、核燃料サイクルが国策になっていませんから、純粋に外貨稼ぎのビジネスとして再処理をしています。アメリカですら、プルトニウムの拡散を防ぐという理由から、使用済み核燃料の再処理を行っていません)。
さて、今、ここ日本に大量の使用済み核燃料が存在するということ自体が問題なのですが、これは、いかに原発反対派と言っても逃げて通れない現実問題。最悪の中の最善の選択は、今すぐ、日本中の原発を止め、廃炉行程に入り、使用済み核燃料を再処理せずに最終処分する道を探るしかありません。国内のどこかに最終処分場を作り、地下深く、そして、10万年以上経っても掘り出されないようにするしかありません(フィンランドと同じ選択)。気の遠くなるような話ですが、今からたった50年ほど前に動き出した原発によって、10万年以上に渡る恐怖の責任を負っているのが、今の私たちなのです。
さて、1日待ったら、
鉢呂経産相:国内原発「ゼロになる」上関は着工「困難」【毎日新聞】
という報道が入ってきました。何はともあれ、日本政府も、一応、原発ゼロを想定した動きになってきました。これを逆戻りさせてはいけません。
「今止まっている原発を一基も再稼働させてはいけない」。この言葉は、もう夢や理想でもなんでもありません。現実的な目標なのです。
「福島の核燃料、仏が引き取り打診」 菅前首相に聞く
フランスのフィヨン首相から菅前首相に、「福島第1にある使用済み燃料(プールで保管中の3108体)を引き取ってもよい」という打診があったというのです。大胆なトップセールスが行われたのは5月。フランス・ドービルで開催されたサミットでのことでした。
この話、直接的には、福島第1の収束に関わると見えますが、実は日本政府に対して原子力政策の根幹に関わる問題を突きつけ、私たちには「原子力」に立ち向かう基本姿勢を問いただしています。
本ブログで既報通り、福島第1だけでなく、日本の原発は、どこも使用済み核燃料で満杯です。フランス、イギリスでの再処理は契約が切れ、国内での再処理も目途が立っていません。【使用済み核燃料はどこへ?】
そこへ原発大国フランスから強烈な売り込み。欲しいのは使用済み核燃料に含まれるプルトニウムと、原子力技術の世界へのアピールでしょう。一方、日本の経産省内では、核燃料サイクル計画が根底から崩れるとして、反対論が強いそうです(プルトニウムがなければ核燃料サイクルは想定すらできません)。まずは、この期に及んで、核燃料サイクルなんていう馬鹿げたプランに固執し続けている経産省に呆れます。ただ、この一件、正しく理解するためには、少し勉強が必要です。反対派の一部には、「原発のゴミ=使用済み核燃料をフランスが受け入れてくれるって言ってるんだから、あげちゃえばいいじゃん」という意見もありそうですが、事はそう簡単ではありません。
「再処理」なんて言われると、何となく聞こえがよいですが、その実態は「プルトニウム抽出工場」です。
世界初の再処理施設が稼働したのは1944年。アメリカのハンフォード核施設でした。人類が核の恐怖と同居を始めたその時代、すでに再処理施設は登場していたのです。
目的は長崎に投下する原爆の製造。広島原爆の核分裂物質がウラン235で、長崎原爆がプルトニウム239だったことは多くの方がご存じの通りです。
で、何からプルトニウムを抽出するのか… それが今で言う使用済み核燃料です。1944年当時、発電用原子炉はありませんから、使われたのは、とにかくプルトニウムを作るための原子炉=プルトニウム生産炉でした。とは言え、基本原理は今の発電用原子炉となんら変わりません。原料は、ウラン238が主体で数%のウラン235を含む低濃縮ウラン。中性子をぶつけ、ウラン235の連鎖的核分裂反応を起こします。その時に、余った中性子がウラン238に吸収され、プルトニウム239になるのです。ただ、それだけでは原爆に使える純度の高いプルトニウム239を得ることはできません。
そこで、「低濃縮のプルトニウム(=使用済み核燃料)」を再処理施設に持ち込み、プルトニウムだけを抽出したのです。再処理工場は核兵器と切っても切れない関係、いや、核兵器のための技術なのです。
さて、話を先に進めましょう。再処理工場では、どうやってプルトニウムを抽出するのでしょうか…
使用済み核燃料には、燃え残りのウラン235、ウラン238、核分裂生成物(セシウム137やストロンチウム90など)、プルトニウム以外の超ウラン元素(アメリシウムやキュリウム)、そして、プルトニウム(大半がプルトニウム239)が含まれています。
これを濃硝酸に溶かすなどして、プルトニウムとウランを取り出すのです。残りはガラスで固めてガラス固化体というものにします(崩壊を続ける核分裂生成物や超ウラン元素を濃縮したようなものですから、強烈な放射線を発し、とても人間が近づける代物ではありません)。
しかし、使用済み核燃料は、すべてプルトニウムとウランとガラス固化体に分けられるのではありません。どうしても、かなりの量の高レベル放射性廃液が出てしまうのです。これが、「再処理工場は原発1基分の一万倍の放射性物質を出す」といわれる所以です。フランスのラ・アーグ再処理施設でもイギリスのセラフィールド再処理施設でも、この高レベル放射性廃液を海に流しています。当然、六ヶ所村でも、そういう計画になっています。
では、私たちの立場は…
使用済み核燃料をフランスに持って行ってもらうのは一つの選択肢ですが、それは間違いなく大西洋の海洋汚染を進めます。
一方、日本で再処理?意味がありません。プルトニウム抽出は、核兵器を作るか、危険性ばかりで実現の可能性すらない高速増殖炉への悪夢を増大させるだけです(ちなみに、現在、外国の使用済み核燃料まで含めて再処理を行っている国はフランスとイギリスしかありません。イギリスでは、核燃料サイクルが国策になっていませんから、純粋に外貨稼ぎのビジネスとして再処理をしています。アメリカですら、プルトニウムの拡散を防ぐという理由から、使用済み核燃料の再処理を行っていません)。
さて、今、ここ日本に大量の使用済み核燃料が存在するということ自体が問題なのですが、これは、いかに原発反対派と言っても逃げて通れない現実問題。最悪の中の最善の選択は、今すぐ、日本中の原発を止め、廃炉行程に入り、使用済み核燃料を再処理せずに最終処分する道を探るしかありません。国内のどこかに最終処分場を作り、地下深く、そして、10万年以上経っても掘り出されないようにするしかありません(フィンランドと同じ選択)。気の遠くなるような話ですが、今からたった50年ほど前に動き出した原発によって、10万年以上に渡る恐怖の責任を負っているのが、今の私たちなのです。
さて、1日待ったら、
鉢呂経産相:国内原発「ゼロになる」上関は着工「困難」【毎日新聞】
という報道が入ってきました。何はともあれ、日本政府も、一応、原発ゼロを想定した動きになってきました。これを逆戻りさせてはいけません。
「今止まっている原発を一基も再稼働させてはいけない」。この言葉は、もう夢や理想でもなんでもありません。現実的な目標なのです。
私企業 東京電力の責任 ― 2011/09/07 23:23
3.11から間もなく半年。東京電力から初めて原則的な発言が出たような気がします。
「東電:中間貯蔵施設受け入れに前向き 福島第1敷地内に」
本来なら東電には、福島第1から出た放射性物質の原子一個一個に至るまで回収して、福島第1の施設内に戻す義務があります。
自動車メーカーは、リコールになれば、すべての対象車を回収して無償で修理または交換します。しかし、この間の東電の態度はどうだったでしょうか?自らの責任を回避することだけに没頭しているとしか見えませんでした。
福島第1をチェルノブイリ事故と比較する時に、決定的な違いとしてあるのは、チェルノブイリは実際の運営も含めて「国」が行っていたということです。福島第1の直接的な運営は営利目的の私企業です。
語弊を恐れずに言うなら、私企業は、本来、事故が起きた時のリスクまで含めて、営利と交換しているはずです。もちろん、原発は国が強力にバックアップしたという事実はありますが、第一義的な責任は、間違いなく東電にあります。その責任をノラリクラリと逃げかわしてきたのが、この半年間でした。
「東電:中間貯蔵施設受け入れに前向き 福島第1敷地内に」
本来なら東電には、福島第1から出た放射性物質の原子一個一個に至るまで回収して、福島第1の施設内に戻す義務があります。
自動車メーカーは、リコールになれば、すべての対象車を回収して無償で修理または交換します。しかし、この間の東電の態度はどうだったでしょうか?自らの責任を回避することだけに没頭しているとしか見えませんでした。
福島第1をチェルノブイリ事故と比較する時に、決定的な違いとしてあるのは、チェルノブイリは実際の運営も含めて「国」が行っていたということです。福島第1の直接的な運営は営利目的の私企業です。
語弊を恐れずに言うなら、私企業は、本来、事故が起きた時のリスクまで含めて、営利と交換しているはずです。もちろん、原発は国が強力にバックアップしたという事実はありますが、第一義的な責任は、間違いなく東電にあります。その責任をノラリクラリと逃げかわしてきたのが、この半年間でした。
除染作業によって生じる放射性廃棄物は、すべて東電が引入るけるべきです。「中間処理施設を福島第1敷地内に」と認めたことは第一歩です。現実的には、中間処理施設の前に地域ごとの第1次集積施設のようなものが必要になるでしょう。これには、各地にある東電の営業所や変電所の駐車場などを当てるべきです。除染を進める自治体や住民団体は、無条件に、東電の拠点に汚染物質を運び込む権利があると思います。
もちろん、東電の責任は除染や汚染物質の受け入れ、農業や漁業の補償だけでは済みません。長期間にわたって故郷に戻れなくなる人々の暮らしをどうするのか?今は国と自治体任せで、その国も自治体も明確な方針を打ち出せないでいますが、本来なら東電がやらなくてはいけないことです。それができないなら、原子力発電などやるべきではなかったのです。本来なら、それが企業の論理でしょう(世界的にも有名なアメリカのあるIT企業は、原発関係のプロジェクトには参加しないと極秘の内規で決めているそうです。万一、コンピュータシステムが原因で重大事故が起きた場合のリスクを担保しきれないからです)。
電力料金の値上げなど以ての外。可能な限り資産を売り払い、それを補償と電力供給の原資に当てるべきです。
「放射性物質の原子一個一個に至るまで持ち帰る」
その意識を東電の経営陣が持ってくれれば、少しは事態は好転していくだろうにと歯がみしています。
もちろん、東電の責任は除染や汚染物質の受け入れ、農業や漁業の補償だけでは済みません。長期間にわたって故郷に戻れなくなる人々の暮らしをどうするのか?今は国と自治体任せで、その国も自治体も明確な方針を打ち出せないでいますが、本来なら東電がやらなくてはいけないことです。それができないなら、原子力発電などやるべきではなかったのです。本来なら、それが企業の論理でしょう(世界的にも有名なアメリカのあるIT企業は、原発関係のプロジェクトには参加しないと極秘の内規で決めているそうです。万一、コンピュータシステムが原因で重大事故が起きた場合のリスクを担保しきれないからです)。
電力料金の値上げなど以ての外。可能な限り資産を売り払い、それを補償と電力供給の原資に当てるべきです。
「放射性物質の原子一個一個に至るまで持ち帰る」
その意識を東電の経営陣が持ってくれれば、少しは事態は好転していくだろうにと歯がみしています。
「電力会社の財布」と「私たちの財布」 ― 2011/09/14 15:55
民間のビジネスの世界だったら、「こんな見積り、通るわけねぇだろ!顔洗って出直してこい!」と、思わず言葉も荒っぽくなってしまいそう。日本エネルギー経済研究所と地球環境産業技術研究機構という民間のシンクタンクが提出した発電コストの試算の話です。
毎日新聞は『原発コスト:火力より割安試算 除染費や補償費など除けば』と伝えています。
試算の基になっていると思われる資料を見つけました。日本エネルギー経済研究所のホームページからダウンロードできる『有価証券報告書を用いた火力・原子力発電のコスト評価』。
原発を保有する電力会社9社の有価証券報告書(財務諸表)に基づいた、言ってみれば「電力会社の財布」から見た試算で、建設コストや廃炉、放射性廃棄物処理に伴う費用も盛り込んだと言います。「電力会社の財布」以外では、電源三法による交付金なども算入しています。
しかし、主に税金が支える日本原子力研究開発機構による高速増殖炉『もんじゅ』や、日本原燃の『六ヶ所村再処理工場』に関連する研究開発費や建設費はどこへ行ってしまったのでしょうか?『もんじゅ』も『六ヶ所村再処理工場』も、まだ一銭も稼いでいませんし、安全に稼働する見通しは、まったく立っていません。
原発事故に伴う経費は、試算に、一切含まれていません。一旦、シビアアクシデントが起きれば、原発が他の発電方式に比べて、比べものにならない被害を与えることは、もう誰の目にも明らかなのに… 福島第1の事故を経ながら、こんな試算を出せる、その神経を疑わざるを得ません。
シンクタンク側の言い訳が振るっています。日本エネルギー経済研究所研究所の松尾雄司主任研究員は「原発は安価だが、最終的な費用は不明」。地球環境産業技術研究機構の秋元圭吾副主席研究員は「事故処理費の算定は難しい」と。
大事なところが不明だったり、難しいことが計算できないんだったら、シンクタンクなんかいらないでしょう!
さすがに、内閣府原子力委員会の委員も「国民の見方と乖離がある」と述べたそうですが、書類をその場で破り捨てるべきでした。
そもそも、この間、盛り上がっている発電コストの話。どうも、考え方の基本が間違っているものが多いような気がします。私たちが原発に払ってきたお金は、電力料金だけではありません。「私たちの財布」からは、税金としても、たっぷりと原発のためにお金を抜き取られているのです。
まず、電力三法による交付金の原資。
前述の高速増殖炉や再処理施設に関連する費用。
産学共同の名のものに国立大学に注ぎ込まれてきた研究開発費は、出るお金は「私たちの財布」から、成果は「電力会社の財布」にという仕組み。
10万年は保管しなくてはならないという使用済み核燃料の最終処分には、多額の税金を投入せざるを得ないでしょう。どう考えても、電力会社が共同で最終処分場をどこかに造るなんて考えられないからです。
さて、当方は、少々発電コストが上がっても自然エネルギーに一気にシフトすべきだと考えています。それでも、コスト問題が重要だと考えるのは、正しく解析できれば、電力会社や経産省が、これまで、どれほどの嘘をついてきたのかを白日の下にさらせるからです。
「電力会社の財布」から見れば、原子力がお得だったに違いありません。「私たちの財布」から、いつの間にか抜き取られたお金は、政・官・電の黒い癒着の中で、互いの利益供与のために使われていきました。昔ながらの露骨な贈収賄は影を潜め、高級官僚の子供の就職を電力会社が引き受けるといった形で、深く浸透しています。巧妙です。
ともあれ、それぞれの電力会社の会計レベルで、原発のコストは、絶対に計算できません。国全体の原子力政策すべてに関わるコスト、そして、未来に積み残すリスクも正確に算入する。まさに、「私たちの財布」から見た試算が求められています。
【追記1】
関連する新たなニュースが入ってきました。
『東電、原発立地自治体に寄付400億円 予算化20年余』
この寄付金が、東電の財務諸表に載っていて、原発関連の支出として計上されているのかどうかは知りませんが、元は「私たちの財布」から出た電力料金だということは、言うまでもありません。電力料金の値上げなど、とんでも無い話です。
【追記2】
これも、どう考えても原発のコスト
『東電に苦情・寄付要求の連鎖 「Jヴィレッジ」契機』
自治体と東電の関係は、醜いを通り越しています。
運営会社=株式会社日本フットボールヴィレッジの役員一覧を見ると、うんざりします。
毎日新聞は『原発コスト:火力より割安試算 除染費や補償費など除けば』と伝えています。
試算の基になっていると思われる資料を見つけました。日本エネルギー経済研究所のホームページからダウンロードできる『有価証券報告書を用いた火力・原子力発電のコスト評価』。
原発を保有する電力会社9社の有価証券報告書(財務諸表)に基づいた、言ってみれば「電力会社の財布」から見た試算で、建設コストや廃炉、放射性廃棄物処理に伴う費用も盛り込んだと言います。「電力会社の財布」以外では、電源三法による交付金なども算入しています。
しかし、主に税金が支える日本原子力研究開発機構による高速増殖炉『もんじゅ』や、日本原燃の『六ヶ所村再処理工場』に関連する研究開発費や建設費はどこへ行ってしまったのでしょうか?『もんじゅ』も『六ヶ所村再処理工場』も、まだ一銭も稼いでいませんし、安全に稼働する見通しは、まったく立っていません。
原発事故に伴う経費は、試算に、一切含まれていません。一旦、シビアアクシデントが起きれば、原発が他の発電方式に比べて、比べものにならない被害を与えることは、もう誰の目にも明らかなのに… 福島第1の事故を経ながら、こんな試算を出せる、その神経を疑わざるを得ません。
シンクタンク側の言い訳が振るっています。日本エネルギー経済研究所研究所の松尾雄司主任研究員は「原発は安価だが、最終的な費用は不明」。地球環境産業技術研究機構の秋元圭吾副主席研究員は「事故処理費の算定は難しい」と。
大事なところが不明だったり、難しいことが計算できないんだったら、シンクタンクなんかいらないでしょう!
さすがに、内閣府原子力委員会の委員も「国民の見方と乖離がある」と述べたそうですが、書類をその場で破り捨てるべきでした。
そもそも、この間、盛り上がっている発電コストの話。どうも、考え方の基本が間違っているものが多いような気がします。私たちが原発に払ってきたお金は、電力料金だけではありません。「私たちの財布」からは、税金としても、たっぷりと原発のためにお金を抜き取られているのです。
まず、電力三法による交付金の原資。
前述の高速増殖炉や再処理施設に関連する費用。
産学共同の名のものに国立大学に注ぎ込まれてきた研究開発費は、出るお金は「私たちの財布」から、成果は「電力会社の財布」にという仕組み。
10万年は保管しなくてはならないという使用済み核燃料の最終処分には、多額の税金を投入せざるを得ないでしょう。どう考えても、電力会社が共同で最終処分場をどこかに造るなんて考えられないからです。
さて、当方は、少々発電コストが上がっても自然エネルギーに一気にシフトすべきだと考えています。それでも、コスト問題が重要だと考えるのは、正しく解析できれば、電力会社や経産省が、これまで、どれほどの嘘をついてきたのかを白日の下にさらせるからです。
「電力会社の財布」から見れば、原子力がお得だったに違いありません。「私たちの財布」から、いつの間にか抜き取られたお金は、政・官・電の黒い癒着の中で、互いの利益供与のために使われていきました。昔ながらの露骨な贈収賄は影を潜め、高級官僚の子供の就職を電力会社が引き受けるといった形で、深く浸透しています。巧妙です。
ともあれ、それぞれの電力会社の会計レベルで、原発のコストは、絶対に計算できません。国全体の原子力政策すべてに関わるコスト、そして、未来に積み残すリスクも正確に算入する。まさに、「私たちの財布」から見た試算が求められています。
【追記1】
関連する新たなニュースが入ってきました。
『東電、原発立地自治体に寄付400億円 予算化20年余』
この寄付金が、東電の財務諸表に載っていて、原発関連の支出として計上されているのかどうかは知りませんが、元は「私たちの財布」から出た電力料金だということは、言うまでもありません。電力料金の値上げなど、とんでも無い話です。
【追記2】
これも、どう考えても原発のコスト
『東電に苦情・寄付要求の連鎖 「Jヴィレッジ」契機』
自治体と東電の関係は、醜いを通り越しています。
運営会社=株式会社日本フットボールヴィレッジの役員一覧を見ると、うんざりします。
裁判所が逃げ出す!? ― 2011/09/18 10:03
毎日新聞で、『この国と原発:第2部・司法の限界』という興味深い連載が始まりました。
過去、原発の安全性を巡る裁判では、ことごとく住民敗訴の判決が下されてきました(一部の下級審を除く)。記事の中では、判決内容の変遷などに触れながら、敗訴とは言え、判決文で原発の安全性に言及するなど、その内容が変わってきていると指摘しています。ただ一方では、裁判所が電力会社や政府のやり方を、まさに「追認」してきたという事実は曲げようがありません。
連載の第1回目は、
『原発:「司法判断困難」 元担当裁判官10人が心情吐露』
実際に各地の原発訴訟を担当した裁判官OBが、「原発問題を司法の場で扱うことは難しい」と吐露しています。
●原発問題を司法で扱いにくい理由:
・理系のスタッフがいない。
・原発推進の社会的・政治的要請の中で、司法が足を引っ張るような判断はできない。
・難しい問題なので、まず国会や行政手続き段階で国民が納得できるような議論を十分にすべき。
ご一読頂ければ、司法の責任を放棄する、あまりにひどい内容だということが分かると思います。
もちろん、最高裁判所の正式な表明ではありませんが、OBの発言とはいえ、司法の世界で、「原発問題から逃げ出したい」という考えが広まりつつあるのは確かなようです。現在係争中の運転差止め訴訟や新たに起こされる訴訟に対して、「もう勘弁してくれ」と言わんばかりです。
この人たちは、三権分立をどう考えているのか?政府が間違った判断をした時に、それを正すのが裁判所。小学生でも知っています。
「法の番人」であるはずの裁判所が、憲法の根幹をなす三権分立を、みずから揺るがすような動きに出る。こんなことを許してはなりません。
過去、原発の安全性を巡る裁判では、ことごとく住民敗訴の判決が下されてきました(一部の下級審を除く)。記事の中では、判決内容の変遷などに触れながら、敗訴とは言え、判決文で原発の安全性に言及するなど、その内容が変わってきていると指摘しています。ただ一方では、裁判所が電力会社や政府のやり方を、まさに「追認」してきたという事実は曲げようがありません。
連載の第1回目は、
『原発:「司法判断困難」 元担当裁判官10人が心情吐露』
実際に各地の原発訴訟を担当した裁判官OBが、「原発問題を司法の場で扱うことは難しい」と吐露しています。
●原発問題を司法で扱いにくい理由:
・理系のスタッフがいない。
・原発推進の社会的・政治的要請の中で、司法が足を引っ張るような判断はできない。
・難しい問題なので、まず国会や行政手続き段階で国民が納得できるような議論を十分にすべき。
ご一読頂ければ、司法の責任を放棄する、あまりにひどい内容だということが分かると思います。
もちろん、最高裁判所の正式な表明ではありませんが、OBの発言とはいえ、司法の世界で、「原発問題から逃げ出したい」という考えが広まりつつあるのは確かなようです。現在係争中の運転差止め訴訟や新たに起こされる訴訟に対して、「もう勘弁してくれ」と言わんばかりです。
この人たちは、三権分立をどう考えているのか?政府が間違った判断をした時に、それを正すのが裁判所。小学生でも知っています。
「法の番人」であるはずの裁判所が、憲法の根幹をなす三権分立を、みずから揺るがすような動きに出る。こんなことを許してはなりません。
民主・自主・公開という大原則 ― 2011/09/23 11:04
3.11以来続いてきた東電の情報隠蔽。この間の「黒塗りの手順書」の一件で、頂点に達したかの感があります。
『福島第1原発:東電、過酷事故発生時の手順書も黒塗り』【毎日新聞9月12日】
『50行中48行黒塗り 東電、国会に原発事故手順書提出』【朝日新聞9月12日】
『福島第1原発:「黒塗り」手順書、保安院開示せず 衆院委』【毎日新聞9月22日】
そもそも、日本の原子力平和利用に関しては、『原子力基本法』に掲げられている『民主・自主・公開』という大原則があります。
しかし、「民主的」に運営されるはずだった原子力委員会や原子力安全委員会には、原発に懐疑的だったり、反対の立場を取る科学者は、一人も入っていません。
研究、開発、利用は、すべて「自主的」に行うはずでしたが、福島第1をはじめとする多くの原発で、アメリカ製の原子炉が使われていることを見ても明らかなように、どこにも「自主」は見当たりません。
そして「公開」。この公開の原則は、一私企業の営利追求に対して、絶対的に優先するものです。社内文書である事を理由に公開を拒み続ける東電の立場は、明らかに原子力基本法に違反しています。そもそも、東電は、みずからが人類史に残る重大事故を引き起こしてしまったということを認識しているのか?それすら疑問に思えてきます。すべての情報を公開しない限り、事故原因の究明には至りません。情報の隠蔽が、収束作業の妨げになることは間違いのないところです。
そもそも、『民主・自主・公開』という大原則を打ち出したのは、私が大学時代に教えを受けた理論物理学者の武谷三男先生です。雑誌「改造」(1952年11月号)における主張を見てみましょう。
「日本人は、原子爆弾を自らの身にうけた世界唯一の被害者であるから、少なくとも原子力に関する限り、最も強力な発言の資格がある。(中略)
日本で行う原子力研究の一切は公表すべきである。また、日本で行う原子力研究には、外国の秘密の知識は一切教わらない。また外国との密接な関係は一切結ばない。日本の原子力研究のいかなる場所にも、いかなる人の出入りも拒否しない。また研究のためいかなる人がそこで研究することを申し込んでも拒否しない。以上のことを法的に確認してから出発すべきである」
原子力基本法と武谷先生の民主・自主・公開を見比べてみると、雲泥の差があることがお分かりかと思います。武谷先生は、安全性の面から見て、原子力発電の実用化に対しては、絶対反対の立場を取ってきました。だからこそ、原子力の研究には、民主・自主・公開が不可欠だと主張していたのです。
3.11以降、様々なところで、武谷先生の主張が引用され、一部では、「武谷三男でさえ、原子力の平和利用に賛成していた」というような紹介がなされていますが、これはまったくの間違いで、「原子力研究の大原則は、民主・自主・公開」「原子力発電には反対」というのが正しい解釈です。もちろん、原子力研究とは原発のための技術開発を意味しているのはなく、原子核に関する広範な研究のことを指しています。
一方で、武谷先生の『民主・自主・公開』というキーワードが、原子力基本法に生かされたことも事実です。学生時代、このことを疑問に思っていた私は、先生に質問をしたことがあります。
私「民主・自主・公開っていうのは、条件によっては原発を認めることになりませんか?」
武谷先生「君たちはまだまだ若いね(笑)。今の日本で、民主・自主・公開が実現できると思っているのかね?」
私「しかし、原子力基本法が民主・自主・公開を謳っていますが…」
武谷先生「ありゃ、いかさま!ペテンですよ!あれは」
テープレコーダーで録音したわけではないので、一言一句まで正確ではないと思いますが、こんなやり取りがあったのは事実です。武谷先生は、日本政府と原子力基本法に対して、心底、怒っていました。
しかし、今、国や東京電力の姿勢を見てみると、「いかさま」で「ペテン」の原子力基本法の民主・自主・公開さえ反故にしています。なりふり構わず、事故を過小評価し、保身を計ろうとしているとしか思えません。
これを機会に、私たち自身が、みずからの言葉として『民主・自主・公開』を認識し直し、国や東電に、それを突きつけていくことが必要だと考えています。
『福島第1原発:東電、過酷事故発生時の手順書も黒塗り』【毎日新聞9月12日】
『50行中48行黒塗り 東電、国会に原発事故手順書提出』【朝日新聞9月12日】
『福島第1原発:「黒塗り」手順書、保安院開示せず 衆院委』【毎日新聞9月22日】
そもそも、日本の原子力平和利用に関しては、『原子力基本法』に掲げられている『民主・自主・公開』という大原則があります。
しかし、「民主的」に運営されるはずだった原子力委員会や原子力安全委員会には、原発に懐疑的だったり、反対の立場を取る科学者は、一人も入っていません。
研究、開発、利用は、すべて「自主的」に行うはずでしたが、福島第1をはじめとする多くの原発で、アメリカ製の原子炉が使われていることを見ても明らかなように、どこにも「自主」は見当たりません。
そして「公開」。この公開の原則は、一私企業の営利追求に対して、絶対的に優先するものです。社内文書である事を理由に公開を拒み続ける東電の立場は、明らかに原子力基本法に違反しています。そもそも、東電は、みずからが人類史に残る重大事故を引き起こしてしまったということを認識しているのか?それすら疑問に思えてきます。すべての情報を公開しない限り、事故原因の究明には至りません。情報の隠蔽が、収束作業の妨げになることは間違いのないところです。
そもそも、『民主・自主・公開』という大原則を打ち出したのは、私が大学時代に教えを受けた理論物理学者の武谷三男先生です。雑誌「改造」(1952年11月号)における主張を見てみましょう。
「日本人は、原子爆弾を自らの身にうけた世界唯一の被害者であるから、少なくとも原子力に関する限り、最も強力な発言の資格がある。(中略)
日本で行う原子力研究の一切は公表すべきである。また、日本で行う原子力研究には、外国の秘密の知識は一切教わらない。また外国との密接な関係は一切結ばない。日本の原子力研究のいかなる場所にも、いかなる人の出入りも拒否しない。また研究のためいかなる人がそこで研究することを申し込んでも拒否しない。以上のことを法的に確認してから出発すべきである」
原子力基本法と武谷先生の民主・自主・公開を見比べてみると、雲泥の差があることがお分かりかと思います。武谷先生は、安全性の面から見て、原子力発電の実用化に対しては、絶対反対の立場を取ってきました。だからこそ、原子力の研究には、民主・自主・公開が不可欠だと主張していたのです。
3.11以降、様々なところで、武谷先生の主張が引用され、一部では、「武谷三男でさえ、原子力の平和利用に賛成していた」というような紹介がなされていますが、これはまったくの間違いで、「原子力研究の大原則は、民主・自主・公開」「原子力発電には反対」というのが正しい解釈です。もちろん、原子力研究とは原発のための技術開発を意味しているのはなく、原子核に関する広範な研究のことを指しています。
一方で、武谷先生の『民主・自主・公開』というキーワードが、原子力基本法に生かされたことも事実です。学生時代、このことを疑問に思っていた私は、先生に質問をしたことがあります。
私「民主・自主・公開っていうのは、条件によっては原発を認めることになりませんか?」
武谷先生「君たちはまだまだ若いね(笑)。今の日本で、民主・自主・公開が実現できると思っているのかね?」
私「しかし、原子力基本法が民主・自主・公開を謳っていますが…」
武谷先生「ありゃ、いかさま!ペテンですよ!あれは」
テープレコーダーで録音したわけではないので、一言一句まで正確ではないと思いますが、こんなやり取りがあったのは事実です。武谷先生は、日本政府と原子力基本法に対して、心底、怒っていました。
しかし、今、国や東京電力の姿勢を見てみると、「いかさま」で「ペテン」の原子力基本法の民主・自主・公開さえ反故にしています。なりふり構わず、事故を過小評価し、保身を計ろうとしているとしか思えません。
これを機会に、私たち自身が、みずからの言葉として『民主・自主・公開』を認識し直し、国や東電に、それを突きつけていくことが必要だと考えています。
集団ヒステリーとマインドコントロール ― 2011/09/23 13:10
9月19日。原発に反対する6万人という大勢の人たちが、東京・明治公園を埋め尽くしました。私もその一人として参加しましたが、明治公園にあんなに人が集まったのを見たのは初めてです。
集会&パレードの詳細は、他のサイトでたくさん紹介されていますので、ここでは、集会での大江健三郎さんの発言を出発点にして、原発に関する「集団ヒステリーとマインドコントロール」の問題を考えていきます。
まず、当日の大江さんの発言。
「イタリアの原発に関する国民投票で反対が九割を占めたことに対し、(石原伸晃自民党幹事長が)集団ヒステリー状態になるのは心情として分かると言った。イタリアでは、人間の命が原発により脅かされることはない。しかし日本人は、これからさらに原発の事故を恐れなければならない。私らはそれに抵抗する意志を持っているということを、想像力を持たない政党幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」
大江さんは、今や世界的に有名になってしまった石原伸晃自民党幹事長の「イタリアの脱原発=集団ヒステリー」発言をやり玉に挙げました。集会での発言だけでは、ちょっと分かり難いので、9月19日の毎日新聞朝刊に大江さんが寄せた「フクシマを見つめて」を紹介します。
【イタリアの原子力計画を再開しないことを九割が求めた国民投票に女性の力が大きいのをほのめかす用語法で、「集団ヒステリー状態」だと日本の自民党幹事長が侮辱した時、―むしろ生産性、経済力尊重のマス・ヒステリアに、この国の男たちは動かされているだろう、と言い返したイタリア女性の映画関係者がいます。この国の男たち、というのは、どの国においてであれ、女たちは生命というものの上位にどんな価値もおかないからだ。もし日本が経済大国どころか貧困におちいっても、ついには見事に乗り超える女性たちを、私らは日本映画で知っている!】(注: ヒステリアはhysteriaのイタリア語発音=ヒステリー)
日本人の男たちこそ「生産性、経済力尊重のマス・ヒステリア」に陥っていると反論した、このイタリア人女性映画関係者の発言は痛烈です。
その通りなのです。原発をずっと容認してきた私たちは、言ってみれば、緩やかな集団ヒステリー状態状態に。いつの間にか、「原発無しでは日本は立ちゆかない」という根拠の無い幻想に取り憑かれていたのです。背景には、国・電力会社・マスメディアが一体となって展開してきたマインドコントロールがあります。
原発が立地する地方を丸め込んできた「原発は安全」キャンペーンが、嘘八百だったことは、火を見るよりも明らかです。嘘と札束。それが、マインドコントロールの要でした。
もっとも典型的なのは「電力の30%は原子力」というキャンペーン。「30%」は、原発の稼働率を上げるために、火力や水力を休ませた結果で出てきた数字です。発電所の設備量(発電能力)で見ると、原発は22%しかありません(18%という説も有り)。また、日本全体で原発以外の発電能力を合計すると17560万キロワットになるそうですが(http://www.dcc-jpl.com/diary/2011/03/19/japan-powerplant-capacity/)、今2011年9月23日現在、稼働している原発は11基。その発電能力の合計は986万キロワット。たった5.3%にしかなりません!
それも、動いている原発は、基本的にフル稼働という宿命を負っていますので、その分、火力や水力を休ませているのです。もう、どこにも原発を続ける理由はありません。
こういった事実を正確に伝えずに、マスメディアが展開している「アンケート」も罪深いです。多くの場合、「ただちに全廃」「時間をかけて全廃」「現状維持」「原発を増やす」という選択肢になっていますが、報道では政府の発表を無批判に伝えているので、「ただちに全廃」すると、あたかも日本経済が沈没するかのようなマインドコントロールが効いています。アンケート自体は否定しませんが、並行して、客観的な事実を正確に伝えるべきです。
いつの間にか、私たちを支配していた原発に関する集団ヒステリーとマインドコントロール… そろそろ、抜け出さないといけません。いや、それどころか、フクシマを経験した私たちは、脱原発で世界の最先頭に立つ必要があるのです。
9月19日の6万人は大きな出来事でした。しかし、まだまだ出発点に過ぎません。身も心も引き締めてかからないと、まだ騙されてしまいます。
こういった事実を正確に伝えずに、マスメディアが展開している「アンケート」も罪深いです。多くの場合、「ただちに全廃」「時間をかけて全廃」「現状維持」「原発を増やす」という選択肢になっていますが、報道では政府の発表を無批判に伝えているので、「ただちに全廃」すると、あたかも日本経済が沈没するかのようなマインドコントロールが効いています。アンケート自体は否定しませんが、並行して、客観的な事実を正確に伝えるべきです。
いつの間にか、私たちを支配していた原発に関する集団ヒステリーとマインドコントロール… そろそろ、抜け出さないといけません。いや、それどころか、フクシマを経験した私たちは、脱原発で世界の最先頭に立つ必要があるのです。
9月19日の6万人は大きな出来事でした。しかし、まだまだ出発点に過ぎません。身も心も引き締めてかからないと、まだ騙されてしまいます。
毎時1マイクロシーベルトで安心はできない ― 2011/09/23 14:15
福島で、3.11以来初めて、空間線量が1マイクロシーベルト/毎時を切ったようです(文科省測定)。
『放射線量:毎時1マイクロシーベルト切る 福島、震災後初』【毎日新聞9月22日】
台風による風と雨が、表土に付着した放射性物質を吹き飛ばしたり、洗い流したりしたのは、事実でしょうし、少しでも空間線量が下がったことは喜ぶべきでしょう。
しかし、記事を読んだだけでは、「1マイクロシーベルト/毎時」という数字が、あたかも安心できる数字として一人歩きしそうなので、正確な評価をしておきたいと思います。
全国平均で自然放射線による空間線量(外部被ばく量)は0.05マイクロシーベルト/毎時とされています。概ね西高東低なので、事故前の福島は、おそらく0.03~0.04マイクロ シーベルト/毎時だったでしょう。しかし、正確なデータがないので、ここでは、0.05マイクロシーベルト/毎時としておきます。
まず、下がったとは言え、1マイクロシーベルト/毎は、事故前の20倍です。誰が、何を根拠に安全と言えるのでしょうか?しきい値無し直線仮説(LNT)に従うなら、放射線が原因でガンを発症する患者は、平時の20倍に増えます。
さて、1マイクロシーベルト/毎時から自然放射線の0.05を引いた値が、福島第1から漏出した放射性物質による外部被ばく量となり、0.95マイクロシーベルト/毎時です。一日のうちの8時間を屋外で過ごすとし、木造家屋による外部被ばくの低減係数=0.4も算入して計算すると、年間の実効外部被ばく線量は4.99ミリシーベルト/年。ほぼ5ミリシーベルト/年に達します。
原発労働者が白血病を発症した場合の労災認定では、累積線量が5.2ミリシーベルトで認められた例があります。年間では5.73ミリシーベルト/年で労災認定されています。いずれも内部被ばくも含めての値です【当ブログ『原発作業員:被ばくでがん 労災10人』参照】。
一方、今回の計算結果の4.99ミリシーベルト/年は、外部被ばくだけです。目の前の地面上には放射性セシウムがあるのですから、少なからず、それが体内に入り、内部被ばくは受けることになります。実質的に、5ミリシーベルト/年を越えるのは確かでしょう。
また、1マイクロシーベルト/毎時を切ったのは地上高2.5メートルのデータで、地上高1メートルでは1.36マイクロシーベルト/毎時が記録されていることも見落としてはいません。
福島の皆さんには、少しでも低い数字を信じて、安心したいという気持ちもあるでしょう。しかし残念ながら、まだまだ危険な数字です。
とにかく、必要な場所では、避難を実行し(累積線量が問題となりますから、これからでも遅くありません)、除染で対応できる場所では、徹底して除染を求めていく。この姿勢が必要だと考えられます。
『放射線量:毎時1マイクロシーベルト切る 福島、震災後初』【毎日新聞9月22日】
台風による風と雨が、表土に付着した放射性物質を吹き飛ばしたり、洗い流したりしたのは、事実でしょうし、少しでも空間線量が下がったことは喜ぶべきでしょう。
しかし、記事を読んだだけでは、「1マイクロシーベルト/毎時」という数字が、あたかも安心できる数字として一人歩きしそうなので、正確な評価をしておきたいと思います。
全国平均で自然放射線による空間線量(外部被ばく量)は0.05マイクロシーベルト/毎時とされています。概ね西高東低なので、事故前の福島は、おそらく0.03~0.04マイクロ シーベルト/毎時だったでしょう。しかし、正確なデータがないので、ここでは、0.05マイクロシーベルト/毎時としておきます。
まず、下がったとは言え、1マイクロシーベルト/毎は、事故前の20倍です。誰が、何を根拠に安全と言えるのでしょうか?しきい値無し直線仮説(LNT)に従うなら、放射線が原因でガンを発症する患者は、平時の20倍に増えます。
さて、1マイクロシーベルト/毎時から自然放射線の0.05を引いた値が、福島第1から漏出した放射性物質による外部被ばく量となり、0.95マイクロシーベルト/毎時です。一日のうちの8時間を屋外で過ごすとし、木造家屋による外部被ばくの低減係数=0.4も算入して計算すると、年間の実効外部被ばく線量は4.99ミリシーベルト/年。ほぼ5ミリシーベルト/年に達します。
原発労働者が白血病を発症した場合の労災認定では、累積線量が5.2ミリシーベルトで認められた例があります。年間では5.73ミリシーベルト/年で労災認定されています。いずれも内部被ばくも含めての値です【当ブログ『原発作業員:被ばくでがん 労災10人』参照】。
一方、今回の計算結果の4.99ミリシーベルト/年は、外部被ばくだけです。目の前の地面上には放射性セシウムがあるのですから、少なからず、それが体内に入り、内部被ばくは受けることになります。実質的に、5ミリシーベルト/年を越えるのは確かでしょう。
また、1マイクロシーベルト/毎時を切ったのは地上高2.5メートルのデータで、地上高1メートルでは1.36マイクロシーベルト/毎時が記録されていることも見落としてはいません。
福島の皆さんには、少しでも低い数字を信じて、安心したいという気持ちもあるでしょう。しかし残念ながら、まだまだ危険な数字です。
とにかく、必要な場所では、避難を実行し(累積線量が問題となりますから、これからでも遅くありません)、除染で対応できる場所では、徹底して除染を求めていく。この姿勢が必要だと考えられます。
格納容器はボルト&ナットとシリコンゴムで密閉! ― 2011/09/29 21:27
福島第1の事故で、大量を放射性物質を広範囲に撒き散らした水素爆発。そのメカニズムが、少しずつ明らかになってきました。
3.11、地震直後、少なくとも1号炉では、圧力容器周りの配管破損により、燃料被覆菅と水との化学反応でできた水素と、絶対に外に出してはいけない一次冷却水が熱湯や水蒸気として、圧力容器の外側にある格納容器に漏れ出していました。これは、格納容器内の急激な温度上昇と圧力上昇によって裏付けられています。
一次冷却水は、直接、燃料棒に触れて、それを冷やすものですから、多くの放射性物質が含まれています。しかし、圧力容器の外側には、強固な格納容器があり、その外には何も漏れ出さないはずでした。
水素爆発で吹き飛んだのは原子炉建屋でした。では、どのようにして、格納容器の密閉性は破られ、水素や放射性物質が、建屋にまで漏れていたのでしょうか?
NHKの『サイエンスZERO』という番組を見て、愕然としました。格納容器の密閉性は、どこにでもあるような、ボルト&ナットとシリコンゴムで保たれていたのです。
格納容器の上部は帽子のような形(上蓋)で取り外しが可能になっています。燃料棒を入れ替える時に、上部を開ける必要があるからです。胴体部分との接合は、原始的とも言えるボルト&ナットによる締め付けです。いくらなんでも、それだけではと言うので、間にシリコンゴムのパッキンを噛ませています。これは、ガスや水道の漏出防止とまったく同じ技術です。
シリコンゴムって何?もっとも身近に見られるのは、料理用のゴムヘラです。どこの家の台所にあるゴムヘラと同じ素材で、原子炉の密閉性を保っていたというのです。ちなみに、シリコンゴムの耐熱性は約260℃。
では、福島第1で何が起こったのか?ここでは1号炉のデータを追っていきます。
事故発生後、上がり続けてきた格納容器内の圧力は、地震発生からほぼ12時間後の3月12日の午前2時30分に8.4気圧という最大値を記録します。設計上の最大圧力が4.3気圧ですから、ほぼ倍。ここから少しだけ圧力が下がって、7.5気圧前後で安定します。内部の圧力で、上蓋を止めていたボルトが延びて、格納容器の胴体部分との間に隙間が出来、気体が外に漏れ出したのです。
さらに、炉心溶融を起こしている圧力容器から漏れてきた気体の温度は260℃をはるかに越えるものだったはずです。溶けた核燃料は2800℃以上に達していたのですから。
シリコンゴムは高温になると劣化・収縮します。もはや、ボルト&ナットとシリコンゴムで保たれていた格納容器の密閉性は保ちようがありません。水素や放射性物質を大量に含む気体が漏れ続けました。
3.11、地震直後、少なくとも1号炉では、圧力容器周りの配管破損により、燃料被覆菅と水との化学反応でできた水素と、絶対に外に出してはいけない一次冷却水が熱湯や水蒸気として、圧力容器の外側にある格納容器に漏れ出していました。これは、格納容器内の急激な温度上昇と圧力上昇によって裏付けられています。
一次冷却水は、直接、燃料棒に触れて、それを冷やすものですから、多くの放射性物質が含まれています。しかし、圧力容器の外側には、強固な格納容器があり、その外には何も漏れ出さないはずでした。
水素爆発で吹き飛んだのは原子炉建屋でした。では、どのようにして、格納容器の密閉性は破られ、水素や放射性物質が、建屋にまで漏れていたのでしょうか?
NHKの『サイエンスZERO』という番組を見て、愕然としました。格納容器の密閉性は、どこにでもあるような、ボルト&ナットとシリコンゴムで保たれていたのです。
格納容器の上部は帽子のような形(上蓋)で取り外しが可能になっています。燃料棒を入れ替える時に、上部を開ける必要があるからです。胴体部分との接合は、原始的とも言えるボルト&ナットによる締め付けです。いくらなんでも、それだけではと言うので、間にシリコンゴムのパッキンを噛ませています。これは、ガスや水道の漏出防止とまったく同じ技術です。
シリコンゴムって何?もっとも身近に見られるのは、料理用のゴムヘラです。どこの家の台所にあるゴムヘラと同じ素材で、原子炉の密閉性を保っていたというのです。ちなみに、シリコンゴムの耐熱性は約260℃。
では、福島第1で何が起こったのか?ここでは1号炉のデータを追っていきます。
事故発生後、上がり続けてきた格納容器内の圧力は、地震発生からほぼ12時間後の3月12日の午前2時30分に8.4気圧という最大値を記録します。設計上の最大圧力が4.3気圧ですから、ほぼ倍。ここから少しだけ圧力が下がって、7.5気圧前後で安定します。内部の圧力で、上蓋を止めていたボルトが延びて、格納容器の胴体部分との間に隙間が出来、気体が外に漏れ出したのです。
さらに、炉心溶融を起こしている圧力容器から漏れてきた気体の温度は260℃をはるかに越えるものだったはずです。溶けた核燃料は2800℃以上に達していたのですから。
シリコンゴムは高温になると劣化・収縮します。もはや、ボルト&ナットとシリコンゴムで保たれていた格納容器の密閉性は保ちようがありません。水素や放射性物質を大量に含む気体が漏れ続けました。
これまで、「水素は分子の大きさが小さいから、ちょっとした隙間から漏れた」というような言い方をされていましたが、それでは、放射性物質の漏出の説明が付きません。
実は、「ちょっとした隙間」どころの話ではなかったのです。
それにしても、最先端の技術であるはずの原子炉の安全性をボルト&ナットとシリコンゴムで保とうとしていた愚かさ。いや、これは福島第1だけではありません。日本中、世界中の原子炉が、ボルト&ナットとシリコンゴム、もしくはそれに類する、どこにでもあるような技術で、「安全性を保っている」と言い張っているのです。
原子力安全委員会の斑目委員長は、「あの時点で水素爆発を起こすなんて誰も想像できなかったと思う」と語りました。しかし、彼は、格納容器の密閉性がシリコンゴムのパッキンで保たれていることを知っていたはずです。知っていて誤魔化したのか?それとも、それを水素爆発に結びつける科学者としての想像力が決定的に欠如していたのか?
斑目委員長だけではありません。多くの原子力関係者が、「ボルト&ナットとシリコンゴム」の事実を知っていたはずです。これを放置してきたこと、さらに、放置し続けていること。誰がどうやって責任を取るのでしょうか。
原子の一個一個に至るまで ― 2011/09/30 17:29
地元の人たちの声や自治体からの要望に押されて、ようやく国が除染に向けて動き出しました。
『年間5ミリシーベルト以上地域、国が除染へ 環境省方針』【朝日新聞9月27日】
『福島第1原発:8都県に中間貯蔵施設 汚泥で環境事務次官』【毎日新聞9月29日】
『放射性物質除染:1~5ミリシーベルトでも国負担』【毎日新聞9月29日】
私は、今回の事故で漏出・飛散した放射性物質に関して、その原子の一個一個に至るまで、東京電力が回収する責任を負っていると考えます。原賠法(原子力損害賠償法)の解釈はともあれ、少なくとも道義的責任は、まず東京電力にあると。これは、誰の目にも明らかなことです。
例えて言うなら、居眠り運転で重大事故を引き起こしたのは東電であり、国または経産省は、ドライバーが寝不足なのを知りながら、助手席で運転を黙認してきた存在です。
除染へ向けての国からの発表を見て、すごく気になるのは、「本来、東電がやるべきことだ」ということを明言していないことです。
いつの間にか、第2次補正予算の予備費からの出費が決まっていたり、第3次補正予算には百数十億円を計上する予定になっていたり。もちろん、迅速に動かなくてはなりませんから、一時的に税金で立て替えることは必要でしょう。しかし、それは、国が責任を持って東電から取り立てるべきです。そのことを最初に明言しておかなかったら、東電は間違いなく責任を回避して、逃げ切るでしょう。人類史に残る重大事故を引き起こした主犯を取り逃がすような、暗に、そんな動きを感じているのは、私だけではないでしょう。
もし、東電が、本当に払いきれないとなった時、分割や国有化を含めて議論すべきです。とにかく、東電からは搾り取れるだけ搾り取る。言葉は悪いですが、国には、この姿勢が求められます。
一方の東電も、除染に関して、ほとんど言葉を発しません。本来なら自分がすべきことを国や自治体に肩代わりしてもらわざるを得ないことに対する全面的な謝罪があってしかるべきでしょう。
それにしても、国レベルで除染が動き出すまで、なぜ、こんなに時間がかかったのでしょうか。「遅きに失した」と批判されてもやむを得ません。地元からの強い要望や東大・児玉龍彦教授など研究者の強い要請があって、やっと動き出そうか… という程度です。
チェルノブイリでは、強制避難地域や移住権利区域に指定された汚染レベルでも、避難や移住は補償しないし、かと言って、除染もしない。こういう非人道的とも言える対応が、半年以上に渡って続いてきたのです。もっと早く動き出していれば、たくさんの人たちの被ばく量を下げることができました。
最初は、福島の地元の人たちや自治体による自主的な除染活動でした。それを研究者たちが支援してきました。8月下旬から9月になると、住民の声に押されて、東京都や千葉県、埼玉県などでも、自治体によるホットスポット(教育施設中心)の除染が始まりました。そして、やっと国です。
今は、とにかく迅速に、大規模な除染を進めるべきです。
ただ、その時に、東電の責任を常に明確にしておくことを忘れてはなりません。埼玉県のある市で、住民が自主的に除染を進めた時のエピソードですが、集めた汚染土を東電の支社に持ち込んだところ、受け取りを拒否されたという出来事が、実際にありました。
さて、除染作業では、汚染された土、汚泥、枯葉といったものが大量に集まります。これをどこに集め、安全に保管するのかが大きな問題となっています。
ここでも基本は、「放射性物質の原子の一個一個に至るまで、東京電力が回収する責任を負っている」という立場です。福島第1から出たものは福島第1に戻すと。
東大の森口祐一教授の試算によると、除染土壌の体積は東京ドーム80杯分に相当するそうです。現実的に、一気に福島第1に運び込むのは難しいので、仮置き場や中間貯蔵施設が必要にはなるでしょうが、最終的には福島第1だと私は考えます。
もう一つあるとすれば、福島第1の電力を主に使ってきたのは東京なのだから、東京で保管するという考え方。現実的に場所がない?そんなことはありません。地下鉄の半蔵門線か大江戸線をそれに当てればよいのです。この二つ路線は、かなり地下深くを走っています。半蔵門線が永田町を通るのも象徴的な意味を持つでしょう。レールが敷いてありますから、奥から、どんどん汚染物質を詰め込んでいくのには適しています。荒唐無稽なアイデアと一笑に付されそうですが、このくらい大胆なことを考えないと、汚染物質が宙に浮いてしまい、あっちこっちで行方不明になるという最悪の事態を招きかねません。
最後にもう一度繰り返します。仮に、中間貯蔵施設や最終処分場が東電の敷地以外の場所に作られるとしても、私たちは、「放射性物質の原子の一個一個に至るまで、東京電力が回収する責任を負っている」という原則を忘れてはなりません。電力会社に原発事故に対する免罪符を与えないために。
『年間5ミリシーベルト以上地域、国が除染へ 環境省方針』【朝日新聞9月27日】
『福島第1原発:8都県に中間貯蔵施設 汚泥で環境事務次官』【毎日新聞9月29日】
『放射性物質除染:1~5ミリシーベルトでも国負担』【毎日新聞9月29日】
私は、今回の事故で漏出・飛散した放射性物質に関して、その原子の一個一個に至るまで、東京電力が回収する責任を負っていると考えます。原賠法(原子力損害賠償法)の解釈はともあれ、少なくとも道義的責任は、まず東京電力にあると。これは、誰の目にも明らかなことです。
例えて言うなら、居眠り運転で重大事故を引き起こしたのは東電であり、国または経産省は、ドライバーが寝不足なのを知りながら、助手席で運転を黙認してきた存在です。
除染へ向けての国からの発表を見て、すごく気になるのは、「本来、東電がやるべきことだ」ということを明言していないことです。
いつの間にか、第2次補正予算の予備費からの出費が決まっていたり、第3次補正予算には百数十億円を計上する予定になっていたり。もちろん、迅速に動かなくてはなりませんから、一時的に税金で立て替えることは必要でしょう。しかし、それは、国が責任を持って東電から取り立てるべきです。そのことを最初に明言しておかなかったら、東電は間違いなく責任を回避して、逃げ切るでしょう。人類史に残る重大事故を引き起こした主犯を取り逃がすような、暗に、そんな動きを感じているのは、私だけではないでしょう。
もし、東電が、本当に払いきれないとなった時、分割や国有化を含めて議論すべきです。とにかく、東電からは搾り取れるだけ搾り取る。言葉は悪いですが、国には、この姿勢が求められます。
一方の東電も、除染に関して、ほとんど言葉を発しません。本来なら自分がすべきことを国や自治体に肩代わりしてもらわざるを得ないことに対する全面的な謝罪があってしかるべきでしょう。
それにしても、国レベルで除染が動き出すまで、なぜ、こんなに時間がかかったのでしょうか。「遅きに失した」と批判されてもやむを得ません。地元からの強い要望や東大・児玉龍彦教授など研究者の強い要請があって、やっと動き出そうか… という程度です。
チェルノブイリでは、強制避難地域や移住権利区域に指定された汚染レベルでも、避難や移住は補償しないし、かと言って、除染もしない。こういう非人道的とも言える対応が、半年以上に渡って続いてきたのです。もっと早く動き出していれば、たくさんの人たちの被ばく量を下げることができました。
最初は、福島の地元の人たちや自治体による自主的な除染活動でした。それを研究者たちが支援してきました。8月下旬から9月になると、住民の声に押されて、東京都や千葉県、埼玉県などでも、自治体によるホットスポット(教育施設中心)の除染が始まりました。そして、やっと国です。
今は、とにかく迅速に、大規模な除染を進めるべきです。
ただ、その時に、東電の責任を常に明確にしておくことを忘れてはなりません。埼玉県のある市で、住民が自主的に除染を進めた時のエピソードですが、集めた汚染土を東電の支社に持ち込んだところ、受け取りを拒否されたという出来事が、実際にありました。
さて、除染作業では、汚染された土、汚泥、枯葉といったものが大量に集まります。これをどこに集め、安全に保管するのかが大きな問題となっています。
ここでも基本は、「放射性物質の原子の一個一個に至るまで、東京電力が回収する責任を負っている」という立場です。福島第1から出たものは福島第1に戻すと。
東大の森口祐一教授の試算によると、除染土壌の体積は東京ドーム80杯分に相当するそうです。現実的に、一気に福島第1に運び込むのは難しいので、仮置き場や中間貯蔵施設が必要にはなるでしょうが、最終的には福島第1だと私は考えます。
もう一つあるとすれば、福島第1の電力を主に使ってきたのは東京なのだから、東京で保管するという考え方。現実的に場所がない?そんなことはありません。地下鉄の半蔵門線か大江戸線をそれに当てればよいのです。この二つ路線は、かなり地下深くを走っています。半蔵門線が永田町を通るのも象徴的な意味を持つでしょう。レールが敷いてありますから、奥から、どんどん汚染物質を詰め込んでいくのには適しています。荒唐無稽なアイデアと一笑に付されそうですが、このくらい大胆なことを考えないと、汚染物質が宙に浮いてしまい、あっちこっちで行方不明になるという最悪の事態を招きかねません。
最後にもう一度繰り返します。仮に、中間貯蔵施設や最終処分場が東電の敷地以外の場所に作られるとしても、私たちは、「放射性物質の原子の一個一個に至るまで、東京電力が回収する責任を負っている」という原則を忘れてはなりません。電力会社に原発事故に対する免罪符を与えないために。
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