民主・自主・公開という大原則2011/09/23 11:04

3.11以来続いてきた東電の情報隠蔽。この間の「黒塗りの手順書」の一件で、頂点に達したかの感があります。

『福島第1原発:東電、過酷事故発生時の手順書も黒塗り』【毎日新聞9月12日
『50行中48行黒塗り 東電、国会に原発事故手順書提出』【朝日新聞9月12日
『福島第1原発:「黒塗り」手順書、保安院開示せず 衆院委』【毎日新聞9月22日

そもそも、日本の原子力平和利用に関しては、『原子力基本法』に掲げられている『民主・自主・公開』という大原則があります。
しかし、「民主的」に運営されるはずだった原子力委員会や原子力安全委員会には、原発に懐疑的だったり、反対の立場を取る科学者は、一人も入っていません。
研究、開発、利用は、すべて「自主的」に行うはずでしたが、福島第1をはじめとする多くの原発で、アメリカ製の原子炉が使われていることを見ても明らかなように、どこにも「自主」は見当たりません。
そして「公開」。この公開の原則は、一私企業の営利追求に対して、絶対的に優先するものです。社内文書である事を理由に公開を拒み続ける東電の立場は、明らかに原子力基本法に違反しています。そもそも、東電は、みずからが人類史に残る重大事故を引き起こしてしまったということを認識しているのか?それすら疑問に思えてきます。すべての情報を公開しない限り、事故原因の究明には至りません。情報の隠蔽が、収束作業の妨げになることは間違いのないところです。

そもそも、『民主・自主・公開』という大原則を打ち出したのは、私が大学時代に教えを受けた理論物理学者の武谷三男先生です。雑誌「改造」(1952年11月号)における主張を見てみましょう。
「日本人は、原子爆弾を自らの身にうけた世界唯一の被害者であるから、少なくとも原子力に関する限り、最も強力な発言の資格がある。(中略)
日本で行う原子力研究の一切は公表すべきである。また、日本で行う原子力研究には、外国の秘密の知識は一切教わらない。また外国との密接な関係は一切結ばない。日本の原子力研究のいかなる場所にも、いかなる人の出入りも拒否しない。また研究のためいかなる人がそこで研究することを申し込んでも拒否しない。以上のことを法的に確認してから出発すべきである」

原子力基本法と武谷先生の民主・自主・公開を見比べてみると、雲泥の差があることがお分かりかと思います。武谷先生は、安全性の面から見て、原子力発電の実用化に対しては、絶対反対の立場を取ってきました。だからこそ、原子力の研究には、民主・自主・公開が不可欠だと主張していたのです。
3.11以降、様々なところで、武谷先生の主張が引用され、一部では、「武谷三男でさえ、原子力の平和利用に賛成していた」というような紹介がなされていますが、これはまったくの間違いで、「原子力研究の大原則は、民主・自主・公開」「原子力発電には反対」というのが正しい解釈です。もちろん、原子力研究とは原発のための技術開発を意味しているのはなく、原子核に関する広範な研究のことを指しています。

一方で、武谷先生の『民主・自主・公開』というキーワードが、原子力基本法に生かされたことも事実です。学生時代、このことを疑問に思っていた私は、先生に質問をしたことがあります。

私「民主・自主・公開っていうのは、条件によっては原発を認めることになりませんか?」
武谷先生「君たちはまだまだ若いね(笑)。今の日本で、民主・自主・公開が実現できると思っているのかね?」
私「しかし、原子力基本法が民主・自主・公開を謳っていますが…」
武谷先生「ありゃ、いかさま!ペテンですよ!あれは」

テープレコーダーで録音したわけではないので、一言一句まで正確ではないと思いますが、こんなやり取りがあったのは事実です。武谷先生は、日本政府と原子力基本法に対して、心底、怒っていました。
しかし、今、国や東京電力の姿勢を見てみると、「いかさま」で「ペテン」の原子力基本法の民主・自主・公開さえ反故にしています。なりふり構わず、事故を過小評価し、保身を計ろうとしているとしか思えません。

これを機会に、私たち自身が、みずからの言葉として『民主・自主・公開』を認識し直し、国や東電に、それを突きつけていくことが必要だと考えています。

集団ヒステリーとマインドコントロール2011/09/23 13:10

9月19日。原発に反対する6万人という大勢の人たちが、東京・明治公園を埋め尽くしました。私もその一人として参加しましたが、明治公園にあんなに人が集まったのを見たのは初めてです。

集会&パレードの詳細は、他のサイトでたくさん紹介されていますので、ここでは、集会での大江健三郎さんの発言を出発点にして、原発に関する「集団ヒステリーとマインドコントロール」の問題を考えていきます。

まず、当日の大江さんの発言。
「イタリアの原発に関する国民投票で反対が九割を占めたことに対し、(石原伸晃自民党幹事長が)集団ヒステリー状態になるのは心情として分かると言った。イタリアでは、人間の命が原発により脅かされることはない。しかし日本人は、これからさらに原発の事故を恐れなければならない。私らはそれに抵抗する意志を持っているということを、想像力を持たない政党幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」

大江さんは、今や世界的に有名になってしまった石原伸晃自民党幹事長の「イタリアの脱原発=集団ヒステリー」発言をやり玉に挙げました。集会での発言だけでは、ちょっと分かり難いので、9月19日の毎日新聞朝刊に大江さんが寄せた「フクシマを見つめて」を紹介します。

【イタリアの原子力計画を再開しないことを九割が求めた国民投票に女性の力が大きいのをほのめかす用語法で、「集団ヒステリー状態」だと日本の自民党幹事長が侮辱した時、―むしろ生産性、経済力尊重のマス・ヒステリアに、この国の男たちは動かされているだろう、と言い返したイタリア女性の映画関係者がいます。この国の男たち、というのは、どの国においてであれ、女たちは生命というものの上位にどんな価値もおかないからだ。もし日本が経済大国どころか貧困におちいっても、ついには見事に乗り超える女性たちを、私らは日本映画で知っている!】(注: ヒステリアはhysteriaのイタリア語発音=ヒステリー)

日本人の男たちこそ「生産性、経済力尊重のマス・ヒステリア」に陥っていると反論した、このイタリア人女性映画関係者の発言は痛烈です。
その通りなのです。原発をずっと容認してきた私たちは、言ってみれば、緩やかな集団ヒステリー状態状態に。いつの間にか、「原発無しでは日本は立ちゆかない」という根拠の無い幻想に取り憑かれていたのです。背景には、国・電力会社・マスメディアが一体となって展開してきたマインドコントロールがあります。

原発が立地する地方を丸め込んできた「原発は安全」キャンペーンが、嘘八百だったことは、火を見るよりも明らかです。嘘と札束。それが、マインドコントロールの要でした。

もっとも典型的なのは「電力の30%は原子力」というキャンペーン。「30%」は、原発の稼働率を上げるために、火力や水力を休ませた結果で出てきた数字です。発電所の設備量(発電能力)で見ると、原発は22%しかありません(18%という説も有り)。また、日本全体で原発以外の発電能力を合計すると17560万キロワットになるそうですが(http://www.dcc-jpl.com/diary/2011/03/19/japan-powerplant-capacity/)、今2011年9月23日現在、稼働している原発は11基。その発電能力の合計は986万キロワット。たった5.3%にしかなりません!
それも、動いている原発は、基本的にフル稼働という宿命を負っていますので、その分、火力や水力を休ませているのです。もう、どこにも原発を続ける理由はありません。
こういった事実を正確に伝えずに、マスメディアが展開している「アンケート」も罪深いです。多くの場合、「ただちに全廃」「時間をかけて全廃」「現状維持」「原発を増やす」という選択肢になっていますが、報道では政府の発表を無批判に伝えているので、「ただちに全廃」すると、あたかも日本経済が沈没するかのようなマインドコントロールが効いています。アンケート自体は否定しませんが、並行して、客観的な事実を正確に伝えるべきです。

いつの間にか、私たちを支配していた原発に関する集団ヒステリーとマインドコントロール… そろそろ、抜け出さないといけません。いや、それどころか、フクシマを経験した私たちは、脱原発で世界の最先頭に立つ必要があるのです。

9月19日の6万人は大きな出来事でした。しかし、まだまだ出発点に過ぎません。身も心も引き締めてかからないと、まだ騙されてしまいます。

毎時1マイクロシーベルトで安心はできない2011/09/23 14:15

福島で、3.11以来初めて、空間線量が1マイクロシーベルト/毎時を切ったようです(文科省測定)。

『放射線量:毎時1マイクロシーベルト切る 福島、震災後初』【毎日新聞9月22日

台風による風と雨が、表土に付着した放射性物質を吹き飛ばしたり、洗い流したりしたのは、事実でしょうし、少しでも空間線量が下がったことは喜ぶべきでしょう。
しかし、記事を読んだだけでは、「1マイクロシーベルト/毎時」という数字が、あたかも安心できる数字として一人歩きしそうなので、正確な評価をしておきたいと思います。

全国平均で自然放射線による空間線量(外部被ばく量)は0.05マイクロシーベルト/毎時とされています。概ね西高東低なので、事故前の福島は、おそらく0.03~0.04マイクロ シーベルト/毎時だったでしょう。しかし、正確なデータがないので、ここでは、0.05マイクロシーベルト/毎時としておきます。

まず、下がったとは言え、1マイクロシーベルト/毎は、事故前の20倍です。誰が、何を根拠に安全と言えるのでしょうか?しきい値無し直線仮説(LNT)に従うなら、放射線が原因でガンを発症する患者は、平時の20倍に増えます。

さて、1マイクロシーベルト/毎時から自然放射線の0.05を引いた値が、福島第1から漏出した放射性物質による外部被ばく量となり、0.95マイクロシーベルト/毎時です。一日のうちの8時間を屋外で過ごすとし、木造家屋による外部被ばくの低減係数=0.4も算入して計算すると、年間の実効外部被ばく線量は4.99ミリシーベルト/年。ほぼ5ミリシーベルト/年に達します。
原発労働者が白血病を発症した場合の労災認定では、累積線量が5.2ミリシーベルトで認められた例があります。年間では5.73ミリシーベルト/年で労災認定されています。いずれも内部被ばくも含めての値です【当ブログ『原発作業員:被ばくでがん 労災10人』参照】。
一方、今回の計算結果の4.99ミリシーベルト/年は、外部被ばくだけです。目の前の地面上には放射性セシウムがあるのですから、少なからず、それが体内に入り、内部被ばくは受けることになります。実質的に、5ミリシーベルト/年を越えるのは確かでしょう。

また、1マイクロシーベルト/毎時を切ったのは地上高2.5メートルのデータで、地上高1メートルでは1.36マイクロシーベルト/毎時が記録されていることも見落としてはいません。

福島の皆さんには、少しでも低い数字を信じて、安心したいという気持ちもあるでしょう。しかし残念ながら、まだまだ危険な数字です。
とにかく、必要な場所では、避難を実行し(累積線量が問題となりますから、これからでも遅くありません)、除染で対応できる場所では、徹底して除染を求めていく。この姿勢が必要だと考えられます。






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