バラク・オバマ 広島スピーチ2016/05/28 06:25

2016年5月28日。バラク・オバマ氏が、アメリカの大統領として初めて広島を訪れました。
そこで行われたスピーチの内容は、明確に「核なき世界」への思い(核廃絶)を提起したものです。もちろん、矛盾や葛藤も含まれています。しかし、それを明言していることも評価できるでしょう。
これ以上とやかく言うことはせず、日本語訳全文を掲載することにします。

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  71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光(せんこう)と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。

 私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか。それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために来ます。また、10万人を超える日本の男性、女性、子ども、多数の朝鮮半島出身者、12人の米国人捕虜の死者を悼むために来ます。その魂がもっと心の内を見て私たちは何者なのか、私たちはどのようになれるのか、振り返るよう語りかけてきます。

 広島を際立たせているのは戦争という事実ではありません。人間が作った道具は暴力的な紛争が古くから行われてきたことを教えてくれます。私たちの先祖は石から刃物を、木から槍(やり)を作ってきました。これらの道具はただ単に狩りをするためでなく、人間に対しても使われてきました。どの大陸においても文明の歴史は戦争に満ちています。食料不足や黄金への渇望、民族主義的、宗教的な熱狂から戦争が起こり、帝国が台頭し、衰退してきました。そして、人々は支配され、解放されてきました。その時々で数えきれない犠牲者が出て罪のない人々が苦しみ、犠牲者の名前は時とともに忘れ去られました。

 広島と長崎で残虐的な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国々の間で戦われました。その文明は世界にすばらしい都市や美術を生み出してきました。そして、思想家は正義や調和、真実という進んだ考えを見いだしてきました。しかし、最も単純な部族同士の紛争の原因のように、支配、征服を欲する本能という同じ根本から戦争は起きてきました。つまり、古いパターンが制約が働くことなく、新しい能力により増幅されてきました。ほんの数年間で6000万人が亡くなりました。男性、女性、子ども、私たちと全く変わらない人たちです。銃で撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、拘束され、飢餓に苦しみ、毒ガスにより、亡くなりました。

 世界にはこの戦争を記録している施設がたくさんあります。記念碑は勇ましさや英雄的な物語を伝え、墓地や収容所の跡は言い表せないほどの恐ろしい行為がなされたことを示しています。しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、最も明確に人類が抱える矛盾を想起させます。思想、想像、言語、道具作りなど、人類が自然界から離れ、自然を従わせることができると示す能力は、同時に、比類のない破壊力も生み出したのです。

 物質的な進歩や社会の革新が、どのくらいこうした真実を隠してしまっているでしょうか。私たちはどれだけ簡単に、暴力を崇高な理由によって正当化してしまっているでしょうか。すべての偉大な宗教は、愛や平和、公正さにいたる道を説いていますが、どの宗教も信仰の名のもとに人を殺す信者を抱えることを避けられません。

 国は犠牲や協力によって人々が団結するという物語を語り、台頭して偉大な成果を生みました。その同じ物語は、自分とは違う他者を虐げたり、非人間的に扱ったりすることに使われてきました。

 私たちは科学によって海を越えてコミュニケーションできますし、雲の上を飛ぶこともできます。病気の治療や宇宙の解明もできます。しかし、そうした発見が、効率的に人を殺す機械になり得るのです。

 近年の戦争は私たちにこうした真実を伝えています。広島も同じ真実を伝えています。技術のみの発展だけでなく、同様に人間社会が進歩しなければ、我々を破滅させる可能性があります。原子を分裂させた科学の革命は私たちに道徳的な進歩も要求しています。

 これが私たちが広島を訪れる理由です。

 この広島の中心に立つと、爆弾が投下された瞬間を想像させられます。混乱した子供たちが抱いた恐怖感を感じ、声にならない叫びを聞きます。むごたらしい戦争、これまで起きた戦争、そしてこれから起こるかもしれない戦争による、罪のない犠牲者に思いをはせます。言葉だけでは、このような苦しみを表すことはできません。しかし、私たちは正面からこの歴史に向き合い、このような苦しみを再び繰り返さないためにできることを問う責任を共有してきました。

 いつの日か、証言をする被爆者の声を聞くことができなくなります。しかし、1945年8月6日朝の記憶は決して消してはいけません。その記憶があるからこそ、我々は現状に満足せず、道義的な想像力の向上が促され、変われるのです。

 あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択を行ってきました。米国と日本は同盟を築いただけでなく、友情をはぐくんできました。それは戦争よりもはるかに人々にとって有益でした。

 欧州の国々は貿易と民主主義の結びつきによって戦場に代わって連合を作りました。抑圧された人々や国家は自由を勝ち取ってきました。国際社会は戦争を避け、そして核兵器を規制、削減し、最終的には廃絶することを求めた機構や条約を設けてきました。

 しかし、私たちが世界で目にする、すべての国家間の侵略行為やテロ行為、腐敗、残虐行為、そして抑圧は、私たちの仕事がまだ終わっていないことを示しています。

 私たちは悪を行う人類の能力をなくすことはできないかもしれません。だから、私たちが築いた国家や同盟は、私たち自身を守る手段を持たなければなりません。しかし、我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはいけません。私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます。

 私たちはこれらの核兵器をなくす道のりを描くことができます。私たちは新たな(核兵器の)拡散を止め、狂信者から核物質を守ることができます。これだけでは十分ではありません。なぜならば、原始的なライフルや「たる爆弾」ですら、非常に大きな規模での暴力をもたらせるからです。

 私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません。外交を通じて紛争を防ぎ、始まってしまった紛争を終わらせる努力をする。相互依存が深まっていることを、暴力的な競争ではなく、平和的な協力の名分にする。国家を、破壊する能力ではなく、何を築けるかで定義する。そして何よりまして、私たちは人類の一員としてお互いのつながりを再び想起しなければなりません。このつながりこそが我々を人類たるものにしているからです。

 私たちは過去の失敗を繰り返すよう遺伝子で決められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに違う方法を伝えることができます。共通する人間性を説明し、戦争が起こりにくく、残虐性が簡単には受け入れられないようにする物語です。被爆者の方たちの話から、それらが分かります。原爆を落とした爆撃機を操縦したパイロットを許した女性がいました。それは彼女が、自分が本当に嫌悪しているのは戦争そのものだと気付いたからです。広島で殺された米国人の家族を捜し出した男性がいました。なぜなら彼は、その米国人たちの喪失感は彼自身のものと同じだと確信していたからです。

 私の国の物語は(独立宣言の)簡単な言葉で始まります。「すべての人類は平等に創造され、創造主によって奪うことのできない権利を与えられている。それは生命、自由、幸福追求の権利である」。しかしその理想を実現することは、米国内や米国民の間であっても、決して簡単ではありません。しかし、その物語にあくまでも忠実であろうとすることに価値があります。それは努力しなくてはならない理想であり、大陸と海をまたぐ理想です。

 全ての人のかけがえのない価値です。全ての人命は貴重であるということです。私たちは一つの家族の一部であるという根源的で不可欠な考え方です。それが私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

 だからこそ私たちは広島に来るのです。それによって、私たちは、愛する人たちに思いをはせます。朝一番の子供たちの笑顔。食卓での配偶者との優しい触れ合い。親の心地よい抱擁。そうしたことを思い、そうしたかけがえのない瞬間が71年前のここにもあったのだと考えることができます。亡くなった方々は私たちと全く変わらない人たちでした。

 普通の方々はこうしたことを理解できると思います。彼らの誰もがこれ以上、戦争を望んでいません。むしろ科学の驚異を、命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立ててほしいと考えています。

 国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう。

 世界はここで永遠に変わってしまいました。しかし、広島の子供たちは平和に日々を送っていくでしょう。なんと価値のあることでしょうか。それこそが守り、そして全ての子供たちに広げていく価値があることなのです。

 これこそが、私たちが選択できる未来です。広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきです。

4度目のスクラム2016/02/29 22:04

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160229-00000069-jij-soci
反対を押し切り再稼働した高浜原発4号機が緊急停止(スクラム)。
スクラムとは、原子炉の暴走を抑えるために、制御棒を一気に全挿入する緊急対応です。

これまでに、日本では
● 1991年2月9日 - 美浜発電所(伝熱管破断による。事故により緊急炉心冷却装置が日本では初めて作動した。)
● 2007年7月16日 - 柏崎刈羽原発(新潟中越沖地震による)
● 2011年3月11日 - 福島第一原子力発電所
しかないようです(wikiなので裏取り無し)。

そして、4回目のスクラムが起きてしまいました。
● 2016年2月29日 - 高浜4号機

これは重大です。
もし、スクラムが正常に行われていなければ、フクイチを超える大惨事になっていたでしょう(フクイチでは、スクラムは働きましたが、その後、冷却水が止まった。スクラムができなければ、冷却水があろうとなかろうと、原子炉の暴走は止められません)。
そして、高浜4号の燃料は、危険極わりないMOX燃料。
MOXのスクラムですよ!これ。
MOXに限っていれば、フクイチの3号機に次ぐ日本原発史上2度目のスクラムです。1度目がどうなったのか… 皆さん、忘れていませんよね。

もう、いい加減、原発は止めませんか?

追記:毎日新聞の報道がより詳しいです。
http://mainichi.jp/articles/20160301/k00/00m/040/026000c


福島第1 甲状腺ガンの実相2015/07/29 11:04

5月18日、福島県が事故当時18歳以下だった子どもたちに対する『甲状腺検査』の最新データを発表しました。

参照:放射線医学県民健康管理センター「甲状腺検査」の結果について

44万4,988人の受診者の中で、甲状腺ガンの確定が103人。100万人あたりにすると231人。通常、100万人に1人と言われる子どもの甲状腺ガンが、福島第1事故による放射線被ばくで激増しているのです。

この最新データを当方で整理したものが下の表です。

上半分が2013年度で完了した1巡目検査。下が2巡目検査です。ただ、2巡目検査で、"悪性または悪性の疑い"と診断されながら、経過観察で手術に至っていない例が多くあり、2巡目検査のデータを最終的な結果として扱うには無理があります。

そこでここでは、データとしては、2011年度から2013年度に実施された一巡目検査の結果に依拠して話を進めることにます(表の上半分に注目してください)。

●300倍以上の確率
2011年度から2013年度を見ていくと、総受診者数=299,543人中、甲状腺ガンの確定が98人。100万人あたりでは327人という高い確率になります。通常の300倍という高率で子どもの甲状腺ガンが発生しているのです。

「現時点で事故の影響は考えにくい」とする福島県(県民健康管理調査検討委員会)、福島県立医大、そして国の態度は、信じがたいものです。

●スクリーニング効果は考えられない
「現時点で事故の影響は考えにくい」とする福島県や国が、根拠としてあげているのが"スクリーニング効果"です。これまでに例のないような詳しい甲状腺検査を行っているので、今までなら見つからなかった甲状腺ガンの患者が見つかっていると言うのです。
本当でしょうか?

この説を信じるなら、これまで子ども100万人あたりで326人の"隠れた甲状腺ガン患者"がいたことになります。彼らは皆、自然治癒したのでしょうか?それとも、甲状腺ガンが発症する前に別な病気で亡くなった?
甲状腺ガンは成長が遅いともいわれますが、327人中1人だけが子どものうちにガンが見つかり、他の326人は大人になってからガンが見つかった… あり得ないでしょう!

●チェルノブイリにおけるスクリーニング効果
スクリーニング効果と並んで、「現時点で事故の影響は考えにくい」の根拠とされるのが、「子供の甲状腺ガン急増は原発事故から4、5年後」という説です。これはチェルノブイリのデータに基づいています。
では、本当にチェルノブイリの甲状腺ガンは、4、5年後から急増したのでしょうか?時系列に沿って検証してみました。

■1986年4月26日
旧ソ連、チェルノブイリ原発4号炉で過酷事故発生。

■1988年~1989年
チェルノブイリ周辺で、すでに子どもの甲状腺ガン多発の事実。
ミンスク第一病院 ビクトル・レベコ部長の証言「わたしたちは、放射能が人間に与える影響というものは、事故後10年から15年経って出てくるものだと思っていました。しかし実際には1988年から89年にかけて子供たちの甲状腺ガンが急激に増えてきました---過去に経験がないのですから仕方がないと言えばそうなのですが、医師として不注意でした」(チェルノブイリ小児病棟 ~5年目の報告~)
http://www.youtube.com/watch?v=MLNUEZCYGrE
【5分48秒~】

■1989年秋
当時のソ連首相ルイシコフがIAEA(国際原子力機関)にチェルノブイリ事故の調査を依頼(→ソ連政府が日本を含む各国へ医療協力を要請)

■1990年4月
IAEAが発足させた『チェルノブイリ原発事故をめぐる国際諮問委員会(IAC)』の委員長に重松逸造氏が就任。各国から集められた200人の専門家集団の責任者となる。ソ連国内の汚染状況と住民の健康の調査、住民の防護対策の妥当性の検討を目的とする『国際チェルノブイリプロジェクト』が動き出す。

■1991年5月~1996年4月
『国際チェルノブイリプロジェクト』の一貫として、チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトによる小児検診実施(1976年4月26日から1986年4月26日までに生まれた子供を対象)。その中心となったのが山下俊一氏(福島県立医科大学副学長・福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)。
○山下氏らが甲状腺の小児検診を実施した施設:
ゴメリ州立専門診療所(ゴメリ市、ベラルーシ)
モギリョフ州立医療診断センター(モギリョフ市、ベラルーシ)
ブリヤンスク州立第2診断センター(クリンシィ市、ブリヤンスク州、ロシア連邦)
キエフ州立第2病院(キエフ市、ウクライナ)
コロステン広域医療診断センター(コロステン市、ジトミール州、ウクライナ)
○検診延べ数:
16万人(この内、重複受診者や検診データの不完全な者を除いた内12万人分のデータを集約)
→64人の甲状腺ガン患者を発見(100万人当たり533人)

参照:チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト報告書

ひとつ言えることは、チェルノブイリ事故直後のソ連には、ヒロシマ・ナガサキの曖昧なデータに基づく、「放射能が人間に与える影響というものは、事故後10年から15年経って出てくるもの」という間違った常識があって、放射線被ばくによる晩発性障害について、警戒が疎かになっていました。
加えて、1986年から1991年といえば、ソ連最後の5年間です。政治的混乱の中、医療関係者がいくら頑張ろうとしても限界があったことは想像に難くありません。この時期、発見されるべきだった甲状腺がんの患者が見落とされていた可能性は大です。

1990年になって、ソ連政府は、チェルノブイリ事故に関して、それまで積極的には受け入れてこなかった外国の調査や医療支援を逆に依頼するようになります(その背景には、どうにも対処しきれない深刻な事態とゴルバチョフが進めていたグラスノスチ(情報公開)政策があったと思われますが、ここでは深入りしません)。

そして、山下俊一氏らが、チェルノブイリの汚染地域に最新の検査機器を持ち込んだのが、1991年5月。以後、5年の間に、多くの小児甲状腺ガン患者を見つけるのです。他国の医療チームも検査を進めたし、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアにも、新しい機器が入ったでしょう。それ以前から検査態勢が一新され、ここでスクリーニング効果が起きた可能性が高いのです。ちょうど、事故後5年。子どもの甲状腺ガン患者がたくさん見つかるようになり、最終的には6千人にもなりました。
チェルノブイリの例をもって、「子どもの甲状腺ガンは、被ばく後、4~5年後から」と言う主張に、まったく根拠がないことがお分かり頂けたかと思います。新しい機器を用いた当時最新の検査が始まったせいなのです。対して、福島第1の汚染地域では、最初から最新の検査機器が使われています。
そして、そのことを一番良く知っているのは、山下俊一氏たちなのです。事故後5年後以降のチェルノブイリで、それまで見逃されていた子どもの甲状腺ガン患者を発見したのは、彼ら自身なのですから。
その山下俊一氏らが、声高に「子どもの甲状腺ガンは、被ばく後、4~5年後から」と主張し続けるのは、もはや悪意としか言いようがありません。そして、山下氏らを重用し、福島第1事故の被害を少しでも小さく見せようとする日本政府の姿勢もまた悪意に満ちたものと言わざるえません。

さらに今、超音波を使った検査で異常が発見されても、なかなか細胞診を実施しなかったり、細胞診で「ガンの可能性が高い」と判断されても、「経過観察」として、手術を実施いなかったり、という例が増えているとの報告もあります。許しがたいです。
福島第1の汚染地域で発生している300人に1人という高い確率の小児甲状腺ガン。この現実から目を背けるわけにはいかないのです。

火山と原発2014/04/06 15:38

言うまでもないことですが、日本列島は地震が多く、火山活動が活発です。どちらも、"世界有数の"と形容することに、誰も反対しないでしょう。

ユーラシアの東端にある日本列島。その下では、プレートと呼ばれる、地球を覆う巨大な岩盤が複雑に重なり合っています。ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレート、太平洋プレートの4つです。
地球を覆っているのプレートは全部で10数枚。その内の4つが日本列島の下に入り込んでいる。この事実を知っただけで、日本が火山国、地震国であることに納得がいきます。
4つのプレートは、ゆっくりとですが別々の動きをしています。従って、プレートが交差する場所では、逃げ場を失った巨大な力が陸地を押し上げます。それが日本列島だと言ってもよいでしょう。
また、プレートの接点で生じた歪みが、一気に戻ろうとするとき、巨大地震が発生します。東日本大震災の震源は、大平洋プレートが北アメリカプレートの下に潜り込む、まさにその場所でした。

交差するプレートは、火山活動の源にもなります。気象庁のホームページに分かりやすいイラストがあったので、下に紹介します。

さて、日本列島にはいくつの火山があるのでしょうか?
数え方にもよりますが、約300とされています。そのうち、活火山が約100。活火山の定義は「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」です。言い方を変えれば、「今後、いつ噴火してもおかしくない火山」。それが活火山です。1億3千万人弱が暮らす、この小さな列島に100もの活火山がある。まず、このことをしっかり認識する必要があります。

火山が噴火したら原発はどうなるのか… その想定は恐ろしすぎて、誰も正面から触れてこなかったのが事実です。
「大噴火は起きない」「溶岩流や火砕流が原発に到達することはない」。何の裏付けもないまま、原子力の専門家たちは、そう自分に信じ込ませてきました。多くの一般の人たちは、何となくそれに従って、危険を認識することはありませんでした。
しかし、大きな間違いでした。日本列島における火山噴火は、福島第1はもちろん、チェルノブイリをはるかに越える悲惨な原子力事故を引き起こします。以下、具体的に2つの例で見ていきましょう。

●九州の大カルデラ火山の噴火
多くの方は、"阿蘇カルデラ"という言葉には聞き覚えがあるでしょう。カルデラとは、火山の活動によってできた大きな凹地のことです。
阿蘇の場合は、大噴火で大量のマグマが地表に吹き出し、その時、地中にできた空洞に地面が落ち込んで凹地になったものです。ちなみに阿蘇カルデラを造った大噴火は8万7000年前に起きたもので、火砕流は九州全域を越え、現在の山口県にまで及びました。

九州には、阿蘇・九重(くじゅう)・加久藤(かくとう)・姶良(あいら)・阿多(あた)・喜界(きかい)という6つの大カルデラ火山があります。
カルデラ火山が大噴火すると、1000℃近い高温の軽石と火山灰が火山ガスとともに時速150キロ以上という高速で地表を走ります。火砕流です。威力は凄まじく、"すべてのものを破壊する"と言って間違いありません。

日本列島におけるもっとも新しいカルデラ火山の大噴火は、約7300年前に起きました。鹿児島南方沖の海底火山が噴火し、喜界カルデラを作ったときのものです。
火砕流と火山灰によって、南九州と四国・中国の一部が壊滅(中国地方の瀬戸内海側でも20センチ以上の降灰があった)。すべての生命が死に絶えました。このエリアでは、大噴火の前後で発掘される土器の形式がまったく異なることから、同じ縄文人とは言え、先住民はすべて死に絶え(あるいは移住し)、その後に外来者が住みつき、あらたな文化を築いたと考えられています。
九州の大カルデラ火山は、5000年~1万6000年に1回の割合で、九州全土と四国・中国のかなりの部分を無生物状態にするような大爆発を起こしているのです。最後の爆発から7300年。今すでに、次の大噴火が、いつ起きてもおかしくない時期になっています。これは、多くの火山学者が指摘している通りです。

「大噴火が起きたら、全部壊滅だから、原発があろうとなかろうと関係ない」と思う方がいるかも知れませんが、それは大きな間違いです。
確かに、大火砕流が火力発電所やガスタンクを飲み込んでいったとしても、特に被害が大きくなるとか、そういったことはありません。噴火の威力に比べたら、ガスタンクの大爆発だって、蚊に刺された程度です。
しかし、原発の場合は話が違います。そこには核燃料があり、大量の放射性物質(使用済み核燃料に含まれる核分裂生成物や超ウラン元素、さらに汚染されたコンクリートや金属など)があります。火砕流に飲み込まれようが、溶岩に溶け込もうが、放射性物質が減ることはないし、それが発する放射線が減ることもないのです。
九州でカルデラ火山の大噴火が起きると、川内原発、玄海原発、伊方原発の3つは確実に制御不能に陥ります。全電源喪失はもちろん、建屋はおろか、格納容器、圧力容器まで破壊され、メルトダウンした核燃料と大量の放射性物質が露天にさらされるでしょう。
川内が178万キロワット、玄海が348万キロワット、伊方が203万キロワット。合計で729万キロワットの出力に相当する核燃料があります(原子炉内だけでこの量。他に核燃料プールや共有プールにも使用済み核燃料があります)。
ほぼすべての核燃料が露天にさらされたチェルノブイリ4号炉の出力は100万キロワットでした。伊方・玄海・川内の3原発が制御不能になったら、チェルノブイリの7倍を超える放射性物質が飛散する恐れがあります。大噴火の被害を越えて、ほぼ日本全土、朝鮮半島、中国の一部まで、数十年、あるいは100年単位で人が住むことはできなくなるでしょう。
この危険性を知りながら、川内原発の再稼働を目論む安倍政権の原子力政策は、愚の骨頂としか言いようがありません。

噴火がある程度予知できれば、対応策はとれるのでしょうか?
無理です。数日、あるいは数週間前に分かれば、発電時の核分裂連鎖反応を止めることはできます。しかし、使用中の核燃料(=使用済み核燃料)は、数年の間、強い放射線と崩壊熱を出すので、循環する水に漬けた状態でしか保管も移動もできません。せいぜい動かせて、原子炉に併設された核燃料プールまででしょう。押し寄せる火砕流への対策にはなりません。運転員は、暴走するのが分かっている原子炉を放り出して逃げ出すか、火砕流に巻き込まれて焼け死ぬか、選択肢は2つしかありません。悲しいかな… いずれにしても、原子炉は人間の制御から外れ、メルトダウンへと一直線です。

●成層火山による中規模火砕流
成層火山とは、ほぼ同一の火口からの複数回の噴火で、溶岩や火山砕屑物(火山礫や火山灰、軽石など)などが積み重なって形成された円錐状の火山のことです。富士山が代表格で、桜島や浅間山も成層火山です。日本列島では、約30の成層火山が中規模な火砕流をともなう噴火を起こしてもおかしくない時期に入っています。
特に原発や原子力施設に影響を及ぼす可能性が高い成層火山を上げてみましょう。
青森県にあるむつ燧(ひうち)ヶ岳と恐山は、東通原発や六ヶ所村に近く、噴火の際に無事に済むとは考えられません。
新潟県の妙高山が噴火した場合、柏崎刈羽原発まで火砕流が達するかどうかは微妙とされていますが、冬に噴火したら、火砕流が積雪を溶かして、大規模土石流が発生します。原子炉を日本海に押し流してしまうと考えられています。もちろんメルトダウン、放射性物質の大漏出となります。柏崎刈羽原発は822万キロワットの出力を持つ世界最大の原発です。

実は、火山の噴火によって、原発が制御不能、メルトダウンに至るシナリオは、上記の2つだけではありません。
地面に火山灰が10センチ以上積もる状況になれば、ほとんどの原発では、海からの冷却水の取り入れができなくなり、メルトダウンすると考えられます。海に落ちた火山灰が取水口を詰まらせてしまうからです。
伊豆諸島の利島(としま)や御蔵島(みくらじま)、神津島(こうづしま)などが噴火すれば、岩屑なだれが海中に突入し、巨大な津波が浜岡原発を襲う恐れがあります。
富士山の次の噴火は、山体崩壊を伴う可能性が大です。その時に発生する岩屑なだれが駿河湾に突入すれば、やはり浜岡原発は大津波に襲われます。
北海道の泊原発は、ニセコ火山から、たった13kmしか離れていません。ひとたび噴火が起きれば、岩屑そのものに埋まってしまう可能性があります。
北陸地方の海岸線は、小規模な火山(単成火山という)ができやすい地殻構造です。原発さえ無ければ、数百人が避難、移住すれば済む小規模な噴火にしかならないので、これまで問題視されることはありませんでした。しかし、原発が絡むと話が違ってきます。若狭湾の原発銀座のいずれかの原子炉の至近で、小規模とは言え、火山噴火が突然起きたら… 背筋が凍る思いです。避難、移住すべき人数は、アッと言う間に数十万人に。京都・大阪にまで影響が及べば数百万人、いや一千万人以上になってしまうのです。

この列島に、原発を作ってしまったことは、大きな間違いでした。今すぐ、完全脱原発に舵を切り、放射性物質をできるだけ安全な場所に、できるだけ安全な形でしまい込むことを考えなければなりません。
再稼働なんて、もっての外なのです。

●参考文献
『噴火と原発』(守屋以智雄)/岩波書店「科学 2014年1月号」ほか
●お薦め資料
川内原発直近の巨大活断層と幾度も襲った火砕流』/反原発・かごしまネット

子どもたちの甲状腺ガン:附記2014/01/12 15:46

以下に、ヨウ素131と甲状腺ガンに関する短い記事を何本か記載します。

●ヨウ素131の恐ろしさ
福島の甲状腺ガンは、主にヨウ素131による内部被ばくが原因と考えられています。ヨウ素は人体に不可欠な栄養素の1つで、甲状腺に集まって甲状腺ホルモンの主原料となります。人体は、普通のヨウ素と放射性のヨウ素を見分けることができませんから、ヨウ素131もまた甲状腺に集まってしまうのです。
ヨウ素131は半減期が8日で、核分裂で生まれる放射性物質の中では比較的短い方です。しかし、「8日もすれば半分になってしまうのだから」なんて考えてはいけません。
"半減期が短い"ということは、"短時間の間にたくさんの放射線を出して崩壊する"ことを意味します。たとえ一過性であっても、ある程度の濃度のヨウ素131を体内に取り込んでしまうと、それが甲状腺に集まり、甲状腺の細胞に集中的に放射線を浴びせ、後にガンを引き起こす可能性が高くなるのです。
ちなみに、ヨウ素131は福島第1から気体で大量に漏出しているので、避難の遅れによって、より多くのヨウ素131を吸い込んでしまった人は多いのです。
放医研(放射線医学総合研究所)は「福島県民のヨウ素131による被ばくは、大半が30mSv以下で心配は要らない」と発表していますが、被ばく直後に検査が行われていないなど、この説には多くの研究者から疑問が投げかけられています。

●甲状腺ガンで死ぬ人はいない!?
「甲状腺ガンで死ぬ人はいない」などとひどいことを言う研究者や政治家がいます。実際に、5年生存率は90%、10年生存率も80%以上と発表している医療機関が大半です。しかし、死んでいる人もいます。また、甲状腺の全摘をしてしまえば、甲状腺ホルモンを造ることができなくなり、一生、甲状腺ホルモン剤を服用せざるを得ません。また、再発の危険性がいつまでも付きまといます。
被ばくによって甲状腺ガンになってしまった人、あるいはその可能性がある人に対して、国は健康監理面で、一生責任を負う必要があります。

●全国規模で子どもの甲状腺検査を

今、福島で起きていることを正確に知るためには、全国規模で子どもの甲状腺検査を行う必要があります。
一次検査は、触診と超音波エコーによる診断だけなので、ツベルクリンよりも少し手間がかかる程度でしょう。
なぜ、日本政府はこういったことに熱心ではないのでしょうか?事実がつぶさにになって、みずからの責任を問われるのを恐れているからでしょう。

●一度検査した場所は、ふたたび検査しない!?
福島県の『県民健康管理調査「甲状腺検査」の実施状況について』を見ると、検査は、毎年限られた市町村だけで行われています。
ということは、一度検査をして「異常なし」となった子どもたちは、その後の検査を受けないことになります。これは大丈夫なのでしょうか?
被ばくした細胞が、かなり時間を経てからガン化する場合があることは、広く知られています。検査体制をもっと充実させないと、早期発見が困難になっていきます。

子どもたちの甲状腺ガン2014/01/12 14:56

多くの方がご存じ通り、福島で子どもの甲状腺ガンが急増しています。県内で行われている原発事故発生当時18歳以下だった子供に対する甲状腺検査は3年目。今までの医学的常識では考えられない数の患者が確認されているのです。
県が発表している「県民健康管理調査「甲状腺検査」の実施状況について」に基づいて、データをまとめ直してみると以下の表になります。


<悪性または悪性の疑い>は、穿刺吸引細胞診(せんしきゅういんさいぼうしん)といって、甲状腺に細い針を刺して腫瘍の細胞を直接調べる方法で、陽性と判断された人。
穿刺吸引細胞診で陽性だと、その90%が甲状腺ガンだと言われています。ですから、<手術=甲状腺ガン確定>の人数は、<悪性または悪性の疑い>の9割程度になるはずですが、データを見ると、<手術>に至ってない例が多くあります。これは甲状腺ガンは進行が遅いので、経過を見ているためと思われますが、少し心配です。

子どもの甲状腺ガンは、100万人に1人とか3人とか言われています。表の数字を見直してみましょう。福島では、ここ2年半ほど間に、<悪性または悪性の疑い>が100万人に243人の確率で、<甲状腺ガン確定>が100万人に109人の確率で見つかっています。通常の30倍から240倍の確率で、子どもが甲状腺ガンになっているのです。
「今までにない精度の高い検査をしているので、たくさん見つかっている」という研究者がいますが、これは嘘です。甲状腺ガンが自覚症状無しに自然治癒することはないからです。中にはガンの進行が遅くて、子ども頃にできたガンが大人になってから発見される例もあるかも知れませんが、それはごく僅かでしょう。いくら検査の精度が上がっても、100万人に1人が、100万人に100人とか200人になることはあり得ないのです。

さて、検査を主導する福島県立医大の鈴木真一教授は「甲状腺がんは最短で4~5年で発見というのがチェルノブイリの知見」と述べ、福島第1原発事故による放射線の影響を否定しますが、多くの人が「本当なのか?」と疑っています。
甲状腺ガンの急増という深刻な事態。少し視点を変えて考えてみます。

●チェルノブイリの曲解
まず、鈴木真一教授らが言うように、放射線被ばくを原因とする甲状腺ガンの発症は被ばく後4~5年以降というのは、正しいのでしょうか?

チェルノブイリ事故は1986年4月26日に発生。当時そこはソ連でした。1985年にゴルバチョフ政権が成立し、改革に手を付けたばかりの時期。7年間に渡るゴルバチョフ政権下、改革派と保守派の争いは熾烈を極めました。1990年にゴルバチョフは大統領に就任しますが、その翌年1991年の12月にソ連は崩壊。チェルノブイリ事故の主な被災地域は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3つの国に分かれました。
これだけの記述で、チェルノブイリ事故後の4~5年間が、ソ連の政治的な大混乱期にあたることが分かります。その中で、献身的な活動を続けた医師や研究者たちの貢献に水を掛けるつもりはありませんが、最新の検査機器も無く、検診等も満足がいく形では進まなかったのは、想像に難くありません。
チェルノブイリ以前の晩発性放射線障害の研究が、主にヒロシマ・ナガサキの誤ったデータに基づいていたことも影響しました。
現に、ミンスク第一病院 ビクトル・レベコ部長は次のように語っています。 「私たちは放射能が人間に与える影響というものを、事故後10年から15年経って出てくるものだと考えていました。しかし実際には1988年から89年にかけて、子供達の甲状腺がんが急激に増えてきました」 「事故から2,3年しか経っていないのですから、私たちの考えは間違っていたわけです。過去にこうした経験がないのですから、しかたがないといえばそうなのですが、医師として不注意でした。どう対応していいのかわからなかったことが悔やまれてなりません」

鈴木真一教授の親分格にあたる山下俊一氏(福島県立医科大学副学長・福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)がチェルノブイリで活動を始めたのは1991年です。チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトへの参加です(日本の戦後史の闇の部分を背負う笹川良一(1899-1995)が、なぜチェルノブイリ支援?という疑問はあるのですが、ここでは深入りしません)。
日本製の最新機器を積んだ巡回バスがウクライナ、ベラルーシ、ロシアの被災地域をまわり、受診した子どもの数は16万人に上ります。放射性セシウムによる内部被ばくや甲状腺ガンの検診などを行いました。
1991年から1996年の間に検診した12万人分(17歳以下の子どもと思われる)のデータが公表されていて、甲状腺ガン64例、結節が577例、甲状腺腫に至っては被験者数の1/3を越える4万2千人近くが陽性という記録が残されています。甲状腺ガンの数字を100万人あたりに換算すると533人に!これは恐ろしい数字です。

参照:日本財団(旧・日本船舶振興会)『チェルノブイリ原発事故被災児の検診成績』

ひとつ、ここで注目すべきは、チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトの現地での活動が始まったのが1991年、チェルノブイリ事故の5年後だということです。
ソ連ゴルバチョフ政権が、1990年頃から始めた各国への原発事故の救援要請を受け、世界中から医師や研究者がチェルノブイリへ入りました。笹川プロジェクトはその代表格と呼べるでしょう。1990年、91年を境にチェルノブイリの医療体制は大きく変わったのです。
これが子どもの甲状腺ガンの数とどう関係するのか?
それまで見つからなかった初期のガンも見つかるようになったのです(甲状腺ガンは進行が遅く、初期にはなかなか見つかりにくい)。だから、チェルノブイリでは、事故後4~5年以降に子どもの甲状腺ガンが多く"見つかる"ようになったです。

大切なのは、"それまで見つからなかったものが見つかるようになった"という点です。山下俊一氏ももちろん、自分たちを始めとする世界の最先端をいく医療チームが入ったことが、検診結果に影響しているのは分かっていたはずです。
しかし、彼はそのデータを曲解します。「チェルノブイリでは事故後4~5年経つまで子どもの甲状腺ガンは発症していない」と… 見つけられていなかっただけなのに。
これが、子分の鈴木真一教授が言う"チェルノブイリの知見"の正体です。鈴木教授自身、それがデータの曲解に過ぎないことは、百も承知でしょう。しかし、政府と東電の責任逃れを応援するために、意識的にその曲解を押し通そうとしているのでしょう。

下に、ベラルーシでの甲状腺ガンのデータを示します。


原発事故後と事故前で、大人で2.6倍、子どもでは47.6倍にもなっています。
また、1990年、91年を境に、一気に見つかる数が増えているのがお分かりだと思います。繰り返しますが、これは"その年にガンが見つかった人の数"であって、"その年にガンができた人の数"ではありません。

もし、福島で事故後4年目5年目で、チェルノブイリのような甲状腺ガン患者の増え方をしたら、とんでもない患者数になります。
当方の考え方は、チェルノブイリでは4年目5年目以降にしか見つからなかった初期ガンの患者の一部が、福島では1年目から見つかっているというものです。この説が正しければ、4年目5年目でチェルノブイリのような増え方はしないはずです。これは"不幸中の幸い"の類なのですが、間違っていないことを祈ります。
早く見つければ見つけるほど治療はしやすくなるし、再発や転移の可能性も減るからです。

とにかく、検査態勢を充実して、被ばくした子どもたちの健康を一生見守っていく責任が政府に求められています。
なによりも、政府と東電は、今、見つかっている子どもたちの甲状腺ガンと原発事故との因果関係をはっきりと認める必要があります。

一方で、チェルノブイリでは、大人の甲状腺ガンも増えました。日本では、今のところ何の対策も取っていませんが、これもまた、たいへんに心配です。

被爆者援護法とフクシマ2013/09/08 16:28

日本で年間1ミリシーベルト以上の放射線被ばくを受けた人は、無償で医療や健康診断を受ける権利があります。

「今、福島で年間20ミリシーベルトという高い線量下での暮らしを強制されている人たちがいるのに何言ってんだ!」とお叱りを受けそうですが、事実なのです。

1995年に制定された『被爆者援護法』(正式名称は『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律』)。分かりやすく言えば、原爆症認定や「被爆者健康手帳」公布の裏付けとなる法律です。
以前からあった「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(1957年制定)」「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(1968年制定)」をまとめたものと解釈されがちですが、それだけではありません。ICRP(国際放射線防護委員会)がその当時行った被ばく基準値の変更が背景にあります。
1985年、ICRPは「パリ声明」で一般人の被ばく基準をそれまでの年間5ミリシーベルトから1ミリシーベルトに引き下げたのです。
この年間1ミリシーベルトが、チェルノブイリでは被災住民に無条件の移住権を保証する基準値となり、日本では『被爆者援護法』に反映されたのです(年間1ミリシーベルトが妥当なのかどうかはとりあえず横に置きます)。

『被爆者援護法』には以下の内容の記述があります。
<「被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者」を原爆症認定の第1の判断基準とする。>

参照:厚労省『原爆症認定』

『被爆者援護法』や厚労省のホームページには、年間1ミリシーベルトを具体的に謳った記述はありませんが、実は「被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者」とは「年間1ミリシーベルト以上を被ばくした者」と同義であることは、以下の図で明らかにされています。


ヒロシマでは爆心地から3.25km以内、ナガサキでは3.55km以内が年間1ミリシーベルトを被ばくしたエリアです。それを踏まえて、「被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者」を「積極的に原爆症に認定する」となったのです(被爆者手帳の交付は、それ以前の当然として)。

詳しくは:厚労省『原爆放射線について』

フクシマにおいて政府が住民に強要している基準値は年間20ミリシーベルトです。もちろん、被爆者健康手帳は1冊も公布されていません。これは二重基準(ダブルスタンダード)以外の何ものでもありません。
晩発性障害は間違いなく起きます。吉田所長の食道ガン死は原発事故と無関係と考える方がむしろ奇妙。何人かの作業員が不自然な死に方をしているのも事実です。
子供たちの間では、甲状腺ガン確定患者が8月の段階で18人。2か月間で6人も増えました。

すくなくとも『被爆者援護法』と同じ基準で、フクシマの被災者を支えること。そして、年間1ミリシーベルトを越えるエリアでは無条件の移住権を認める必要があります。

最後に、政府が2012年4月に発表した『20年後までの年間空間線量率の予測図』にリンクを貼っておきます。

政府発表:20年後の線量

今、そして20年後の年間1ミリシーベルトのエリアをしっかり確認してください。背筋が凍る思いです。

サンオノフレ原発、廃炉決定!2013/06/08 19:58

アメリカ、カリフォルニア州。サンオノフレ(サンオンフレ)原発の廃炉が決まりました。ロサンゼルスとサンディエゴのちょうど真ん中あたりにある原発です。

蒸気発生器の配管からの放射能汚染水漏れに端を発し、住民運動と、それに押されたアメリカ原子力委員会からの稼働不認可などがあり、運営会社が判断したようです。「無理に修理して再稼働しても、元が取れない」と。

サンオノフレ(サンオンフレ)原発
風光明媚な風景の中に、あまりに不似合いな原発。廃炉の道筋は長いですが、その決定は評価に値します。

さて、サンオノフレ原発は、福島第1の沸騰水型とは異なり、加圧水型というタイプの原子炉です。
二つのタイプの決定的な違いは、沸騰水型では、放射性物質をタップリ含んだ冷却水を気化させた水蒸気が直接発電タービンを回すこと。加圧水型では、原子炉で高温高圧に加熱された一次冷却水(汚染水)が、蒸気発生器を通ることで、放射性物質を含まない水(二次冷却水)を水蒸気にして、発電タービンを回すということです。
簡単に言えば、タービンを回すための水蒸気を作るメカニズムが、加圧水型では二段構えになっています。

●加圧水型と沸騰水型

原発推進派の中では、巨大な力が加わるタービンに汚染水が直接触れないため、加圧水型は沸騰水型に比べて、安全性が高いという主張が主です。

一方、加圧水型では、一次冷却水で二次冷却水を加熱・冷却する蒸気発生器の配管が複雑で、重大な問題が起きる可能性が高いということは、1970年代から指摘されてきました。
今回のサンオノフレの蒸気発生器に見つかった、1万5千か所という摩擦による不具合は、上記の危惧が正しかったことを意味しています。

実は、今、世界で原子炉を作っているメーカーの系列は、たった4つしかありません。

日立系=沸騰水型
東芝系(ウェスティングハウス)=加圧水型
三菱重工 + アレヴァNP=加圧水型
アトムエネルゴブロム
です。

サンオノフレは加圧水型で、蒸気発生器は三菱重工製。三菱重工は巨額の損害賠償請求を受けるようです。

三菱重工は、トルコへの原発輸出計画を直ちに中止すべきです。

そして、カリフォルニアは、太平洋をはさんで日本列島の対岸ですが、これは対岸の火事では済みません。
日本では、北海道電力、関西電力、四国電力、九州電力各社が加圧水型の原子炉を採用しています(三菱重工系と東芝系あり)。ただちに、蒸気発生器を含む原子炉のすべての構造に対して、徹底的な調査を行うべきでしょう。
幸いにも、大飯を除くすべての原発が止まっているのですから。すべての核燃料を炉心から取り除き、調べ尽くすべきです。

大停電と原発2013/05/12 20:09

「安倍晋三はブラックセールスマン」「安倍晋三は死の商人」。あちこちからこんな声が聞こえてきます。

レベル7の大事故を起こしてから2年あまり。フクシマはまったく収束していません。事故の詳しいメカニズムだってまったく分かっていません。
そんな日本の首相が、トップセールスと称して海外に出向いて原発を売り歩く。そこで事故が起きた時に、誰がどう被害を受け、誰が責任を負うのかなんて、まったくお構いなしです。
今回のトルコについて特に言うなら、日本に匹敵する地震国であることは誰もが知っているのに。

さて、視点を変えてみましょう。
今、多くの人が見落としているのが、原子力発電所は電気を作るための施設なのに、外部電源がないと暴走し、メルトダウンし、大事故を引き起こすということ。ここに、原発が持つ根本的な脆弱性の一つがあります。外からの電気がないと暴走する発電所!?まともな神経で考えれば、それ自体が変なのに。
そして、停電の起きない国は世界中どこにもありません。日本でも、トルコでも、アメリカでも停電は起きます。

福島第1の過酷事故。政府も東電も、「想定を越える規模の津波」のせいにして誤魔化そうとしていますが、実は、津波だろうと、台風だろうと、洪水だろうと関係ありません。メルトダウンの引き金を引くのは、最後は「外部電源の喪失=停電」なのです。
こう言うと、「仮に外からの電源が切れても、非常用ディーゼル発電機があるから大丈夫」という反論が来ます。しかし、福島第1で東北電力からの送電線が倒れ、同時に非常用ディーゼル発電機が津波で水をかぶったという状況は、極めて特殊な例とは言えないのです。
それを裏付けるのが、これまでに日本国内や世界中で起きた数々の大停電の記録です。

●新潟大停電
2005年12月22日~23日。
原因は、強風とそれによって煽られた雪と氷結した海水のしぶきとされています。
この時は、停電エリアに柏崎原発がたまたま含まれていませんでした。
しかしもし、柏崎原発がこの停電に巻き込まれ、荒天があと数日続いていたらどうなっていたでしょうか?
停電が始まった直後は、非常用ディーゼル発電機が稼働していたとしても、数日の内に燃料切れ。原子炉は間違いなく暴走していたでしょう。

●ブラジル大停電
2009年11月10日。
原因は暴風雨。新潟の場合と同じ想定は成り立ちます。
ブラジルは、福島第1の事故を受けて国内でのあらたな原発計画を見送る決定をしました。

●北アメリカ大停電
2003年8月14日。
荒天による送電線と樹木の接触が原因でした。
これも、停電エリア内に原発があって、荒天があと数日続いていたら、大事故の可能性がありました。

そしてアメリカ西海岸…
最近も、福島第1を思い浮かべざるを得ない事態が起きて、実際に原発が止まっていました!

1年半ほど前の2011年9月8日、米国カリフォルニア州南部で大停電が起き、サンディエゴ近郊にあるサンオンフレ原発の原子炉2基が緊急停止していたのです。

●2011年9月8日カリフォルニア州南部で大停電のニュース(1)

●2011年9月8日カリフォルニア州南部で大停電のニュース(2)

●カリフォルニアの原発地図
サンディエゴ近郊と言われていますが、実はロサンゼルスにもほぼ等距離なのが一目瞭然。
「ロサンゼルスはサンオンフレの100キロ圏内」という事実をアメリカの人たちは知るべき!


さて、大停電の日…
あまり細かい情報が残されていないのですが、非常用ディーゼル発電機で危機をしのいだと見られます。
もし、非常用ディーゼルが起動しなかったら…
もし、数日間、ディーゼル燃料が届かない状況に見舞われたら…
太平洋をはさんだ反対側で、福島第1同様の原発過酷事故が起きていたに違いありません。それは、福島第1の事故から、たった半年しか経っていない時でした。

まさに綱渡り… こんなことを繰り返していたら、人類は、必ずまた原発過酷事故を引き起こします。

そして、この日本列島に暮らす私たちの果たすべき責任と役割は…
ヒロシマ・ナガサキの悲劇を経験した私たちは、核兵器廃絶に向けて、世界の最先頭に立たなくてはいけません。
フクシマの悲劇を経験した私たちは、地球上からすべての原発をなくすために、世界の最先頭に立たなくてはいけません。
そんなときに、首相が原発の「ブラックセールスマン」や「死の商人」では、お話になりません。

思いだしてみると、安倍晋三の出身校は成蹊大学。完璧な三菱財閥系です。今回、トルコでの原発セールスは三菱重工。いまだにそんなところで、世の中が決まっているのか… 落胆とともに、強い怒りをおぼえます。

除染考(3):そもそも除染は必要なのか?2013/01/31 20:57

当ブログをはじめ、多くの人たちが多くの場所で指摘している通り、高濃度汚染地域では、除染は核物質を拡散するだけで、効果は乏しいものです。

チェルノブイリでは、立ち入り禁止区域になっている半径30キロの「ゾーン」の中では、除染は行わず、放射性物質の野生生物や環境への影響を研究することに専念しています。除染したところで、とうてい人が住める環境にはならないからです。
「ゾーン」の外では、今も一部で除染作業が続いているようですが、決定的な効果を上げるような新技術はありません。農地では、当初、土の入れ替えによる除染を試みました。しかし、あまりに広大な面積が対象となることから、除染をあきらめ、カリウムを撒くことで、植物が吸収する放射性セシウムの量を減らすという対策に変更しました。

福島、いや日本ではどうすべきなのでしょうか…
環境省のホームページを見ると、「計画的避難区域」と「警戒区域」を合わせて『除染特別地域』として、当面の除染を進めようとしています。このエリア=20ミリシーベルト/年を超える地域です。
さらに、福島県だけでなく、宮城県、岩手県、茨城県、栃木県、群馬県、千葉県でも広い範囲が『汚染状況重点調査地域』に指定されています。数字的に言えば、1ミリシーベルト/年から20ミリシーベルト/年のエリアです。自治体が除染を計画すれば国から経済的支援を受けられる。これが『汚染状況重点調査地域』です。実に104市町村に及びます。

除染特別地域・汚染状況重点調査地域一覧(環境省)

今、巨額の税金を投入して、『除染特別地域』の除染を進めようとしていますが、これが、「効果は上がらない」「手抜き横行」「労働者の賃金ピンハネ」というひどい事になっています。
『除染特別地域』は、今現在、人が住めない地域です。ここでの除染が、「帰還」と深く結びついていることは言うまでもありません。しかし、線量を下げられなければ、帰還どころではありません。また、仮に住宅の周りだけある程度、除染できたとしても、野山や山林はどうするのか… そこから流れ出る放射性物質を含む水にどう対応するのか… だいたい「放射線量が高いから山に入ってはいけない」と子どもたちに何十年も言い続けのでしょうか。そこは決して安全な場所ではありません。

フクシマの地元で、この「除染+帰還」という危険な流れを汚染地域で推し進めているのが地方議員たちです。
敢えて言います。地方議員を信用してはいけません!ごく一部の議員を除けば、票田が失われるのを恐れているだけなのです。住民の命や健康よりも、自分の地位の確保だけを考えていると言って間違いありません。

今、除染を重点的に進めるべきなのは、1ミリシーベルト/年から5ミリシーベルト/年の地域。ここでは、避難や疎開の権利も認められるべきです。
5ミリシーベルト/年以上は無条件に避難すべき。
20ミリシーベルト/年以上は、当面放置して、数十年単位で様子を見るしかありません。冷酷なようですが、これが原子力事故なのです。

埼玉県加須市の旧騎西高校に集団で避難していた双葉町。井戸川町長が、結局、辞任に追い込まれました。
その背景には「除染+帰還」の問題が横たわっています。

井戸川町長の主張は、「放射能不安が全くない地域に“仮の町”を」「7千人の全住民が住め、仕事も担保された町を」という、きわめて真っ当なものでした。しかし、町議会の主流派は、「まず、町役場を旧騎西高校から福島県内に戻すべきだ」と。

結局、この3月には、町役場をいわき市に移すことが決まり、新町役場を中心に学校などを再建し、“仮の町”を建設しようという流れになっています。
しかし、いわき市の空間線量を見ると、1ミリシーベルト/年に相当する0.23マイクロシーベルト/時を越える場所が、まだまだたくさんあります。
まともに線量を測っていない山林も心配です。福島第1から250㎞離れた加須市から、60㎞のいわき市に戻るわけですから、食べ物や水なども、心配するなという方が無理なのです。

「放射能不安が全くない地域に“仮の町”を」という井戸川町長の当然とも思える主張は、潰されてしまいました。

井戸川町長の辞任のメッセージ「双葉町は永遠に」が双葉町のサイトにあがっています。涙なくしては読めません。






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