2011年8月6日を迎えて2011/08/06 22:25

66年前の今日、8月6日。広島に原爆が投下されました。

福島第1の事故が収束しない中、日本中、いや世界中の多くの人たちが思いを新たにこの日を迎えています。

核による、とてつもない被害を受けてから66年…
語弊を恐れずに言うなら、核兵器廃絶を目指す反核勢力の多くも、「原子力の平和利用」という甘言に絡め取られてきた歴史があります。
その事を自己批判しろだの、総括しろだの馬鹿馬鹿しいことを言うつもりはありません。福島第1の事故を経て、「原子力の平和利用」の本当の怖さを知った今、核兵器も原発も廃絶しなくてはいけないという原則的な立場こそが正しいのだということが明確になりました。その事を心に刻みましょう。

「原子力の平和利用」の裏に何があったのか?
核兵器開発との直接的な結びつき…
住民の命と健康をまったく考慮していなかった(考慮しようもなかった)完全対策…
放ったらかしで山積みの使用済み核燃料…
儲かるのは電力会社と政治家だけ…
などなど。

2011年8月6日。この日を期に、「原子力の平和利用」と本気で決別する道に歩み出さなくてはいけないと考えています。

コメント

_ tossini ― 2011/08/07 13:35

6日の朝日朝刊にーー
1953年、米・原子力担当国務長官特別補佐官:ストローズが、
「米の予算で広島に原発を建設」することを提案。

アイゼンハワーが
「原爆投下の贖罪、すなわち投下の非を認めたように映る」と反対し、プランは流れた。
以降数次にわたって建設計画が提案されたが、
54年のビキニ事件による、
日本国内の反核運動の高まりなどもあり、
55年には断念した。
ーーという記事がありましたね。

最終的に国務省も1955年5月7日、
「広島に原発をプレゼントするのは、
原爆の罪を認めたことになり、
対日政策に不利益を生みかねない」
という書簡をホワイトハウスに送ったとか…。

「罪を認めたことになる」
という以前に、
原発を、わざわざ広島に
もってこようとした感覚自体が、酷い!
原発開発は軍事と不可分で進められており、
『完全なる平和利用』なんてモノを、
本気で信じていたわけでもあるまい。
その後の核持ち込みをスムーズに運ぶための伏線を張りたかったのかも…?

_ 私設原子力情報室 ― 2011/08/07 20:30

>tossiniさん
「原子力の平和利用」自体、アイゼンハワーのAtom for Peace という詭弁から始まってますよね。
悪い奴ほどよく眠る。

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